おはようございます。
誰でも、暮らしの中に安心を得たいという願望があると思います。
しかし、安心ではなく、不安だから何かしなければという観念にとらわれてしまう人も多いと思います。
特に今の新型コロナ禍の時世では、先行きの事を考えれば、お金、仕事、学業、健康、自分のことだけでなく家族の事、不安を上げれば限がないと思います。
また、外に出られない分、外の事が気になり、外に目を転じて情報に聞き耳を立てれば、不安に加えて怒りや悲しみ、やるせなさといった感情も湧いてきてしまいます。
しかし、外の出来事ではなく、自分自身の内に意識を向けてみれば、今、外が大変な状況であろうと、無意識にも息がつけているし、心臓も休むことなく鼓動してくれているのを感じる。
そう、自分自身は生かされている。
極端な見方をすれば、明日どうなるのかも確定していないし、わからない。
コロナ禍以外でも、大雨の災害が自分の住む地域でも起こるかもしれない。
明日も未来もわからない。
しかし、それでも今、自分自身は生かされて生きている事に変わりはない。
これは実在の絶対的事実である。
今ここに、私は存在していて良いのだ、そういう赦しを得ているのだという安心。
そして、そこから湧いてくる自信。
絶対的事実を有難く受け止め、今できる事をできる範囲でやっていき、前向きに生きていく。
それが、自分を生かしてくれているからだや、からだを生かしてくれている空間、御霊に対する生きながらの最高の供養なのでないかと思う。