「哲学する操体 快からのメッセージ」 を熟読した私は、東京操体フォーラムに参加してこの本の著者である三浦寛師に出会うことができた。 その夜の会合で皮膚操法について伺うことができ、操体講習を受講することになり、毎週2年間の上京生活が始まった。
カイロでは主に知識とテクニックの学習をしてきたので、今度は五官で感じ取るスタイルに学び方を変えようと思った。 見て感じる、聴いて感じる、触れて感じる、そのような吸収の仕方で講義を受ける方策に決めた。 そのように研鑽を重ねるのは実に新鮮な感じであった。
この講習を終えて、今度は 「操体療術院」 として再デビューすることとなった。 開院する場所について、大阪北のビジネス街と繁華街にも近い商業地域にあるテナントビル2Fのオフィスを賃借契約した。 この地域にはマッサージ店がやたらと目につく。 また昼間から夜遅くまで客の出入りも多く見受けられる。 それらを横目に見ながら開院初日をスタートさせた。
マッサージ店の客層はビジネスマンと思われる人が殆んどといったところだ。 マッサージ店はどこも派手なイルミネーション看板を設置しているが、当院では当ビル1Fアプローチ部分に折りたたみ式の質素な看板のみが置いてある。 果たして、来院者を期待できるのだろうか? そんなことを思いながら初日を過ごした。
その日の帰り道で最寄り駅のすぐ近くの路地裏通りにある小さな居酒屋に立ち寄った。 そこには肉体労働者と思われる作業服姿の客が3人で焼酎を飲みながらどて焼きを食べていた。 そこへ店主と思われる気の良さそうな初老の男がお通しの枝豆をもって注文を取りに来た。 私は、生ビールにどて焼きを注文した。
30分ほど、物思いに耽りながら飲んでいただろうか、肉体労働者風の客は帰り、客は私一人になった。 その店主であるが、先ほどからしきりに首に片手を当て、上を見上げるような仕草をしている。 私は声をかけてみた 「首の調子でも悪くしたのですか?」、「ええ、寝違いをして昼間、マッサージを受けて来た」、と言う、「その時は解消されたと思ったんだが」
私は 「ちょっとよろしいですか」 と云って店主が手を当てていた左首筋を軽く指で触れてみた、それだけで熱感と硬結が確認できた。 そして次に気になったのが、左肘が外に向いていたことから、ついでに左手首を触診させてもらった。 特に手首の皮膚を指でつまんでみると、針に刺されたような強烈な痛みがあるという。 そこで立位のまま、左手関節から動診・操法のアプローチを試みた。 この間僅か数分であったろうか、首の痛みが劇的に改善したことに店主はとても驚いていた。
店主は私のジョッキーが空であることを見過ごすことなく、すぐにおかわりを持ってきて 「これは私のおごり」 と一言。 「お客さんは何をしている人?」 と聞かれたので、実は今日からこの先にあるテナントビルで開院したばかりであることを話すと、「これから世話になるだろうから」 と言ってどて焼きのおかわりもサービスしてくれた。
その後、2~3日連続してその居酒屋に通っていた。 当院の方は電話での問い合わせはあるものの、患者の来院がまだ一人もない、というようなことを店主に話していた。 店主はうちの店に当院の広告を出してもいいよ、と言ってくれたので、それに甘えて次の日に早速、広告を作成して、お店の壁に貼らせていただいた。 これからが意外な展開に!