おはようございます。
今回のブログは「環境」をテーマにリレーしていますが、環境という字を見ていると、みんな巡っているんだな、という想いが膨らみます。
「環」は、そのまま循環が連想されるし「境」はさかいでもあるが、ものとものとが接する所でもある。
接するという前提があるならば、ものとものとは同一ではない筈。同一であれば、境など無いであろう。
個体としての、ものとものとは何かしら違いがある。
その違いを分ける意味での境ならば、何か分断を感じてしまう。
しかし、境の前に「環」があることで、違うものどうしでも空間を介した接点が生じて、つながりを持ち、それがまたつながりを持ち、連鎖が生じ、巡って、めぐり合って、調和して、その調和がより良く膨らんでいく。
そうやって出来てきたのが、今の私達はじめ生体系を生かしてくれている環境なのかもしれない。
その辺に転がっている無機的な石ころさえも環境要素であり、その環境要素は他の環境要素と接し、巡り巡って私達の構成要素にもなるだろう。
今生きている私達も構成要素を環境にお返ししながら、やがては石ころのような存在となっていく。
巡り巡って、生かし生かされ、その調和の元に私達は今、生かされて生きている。
有難く出来ていると思うし、良いお返しもしなければ(物質的な面だけでなく)とも思う。