おはようございます。
今回のテーマは「アートについて」ということで書いているが、このテーマを確認した時に思い浮かんだのが、ジャン・フランソワ・ミレーの「落穂拾い」という絵画だった。
この「落穂拾い」の絵に関しては、中学校の美術の教科書に写真が載っていて、よく見ていたのを思い出す。
落穂を拾っている女性だけではなく、空の空気感とか光の加減とか、背景の描き方とか全体的に何か惹きつけられるものがあり、いつもなんとなく見ていたと思う。
しかし、今、改めて見てみると、落穂を拾っている2人の女性の姿が、凄くこちらに訴えてくるのを感じる。
なぜなのだろうかと目で触れていると、これはからだの悲鳴も含まれているのではないかと思えた。
よく見てみると、2人とも右足を前に出して右手で落穂を拾っている。
この動作というのは、橋本敬三先生の時代より、からだをこわす代表例として言われ続けてきた動作だ。
特に奥の女性は、更にそこから右手を随分と伸ばした状態から落穂を拾おうとしている。
この体勢のインパクトは凄く大きい。
試しに自分でやってみても、随分とツライ動作だという事がわかる。これを一日中やるとしたら、とても大変だと思う。
この絵は、旧約聖書のレビ記のなかの律法を題材にしているという。
奥の方に、白っぽい色で描かれた大勢の人達は収穫作業をする労働者階級の人達。
手前で落穂拾いをしている女性達は、労働者階級にも属せない貧しい人達。
そして、女性達は左手にある程度の長さの落穂を握っているが、右足を前に出して伸ばした右手の先の地面には、長い落穂があるようには見受けられない。
なんだか、やるせない気持ちになってくる。
せめて、からだの使い方、動かし方に関心を持ってくれれば、と願ってしまうのは私だけではないと思う。
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2021年11月23日(火)勤労感謝の日 ハイブリッド開催