日下さん1週間お疲れ様でした。
いつも、インドのお話興味深く読ませて頂いています。
長い歴史の在る物に触れるそれ自体が時空を超えるという事だな。
そんな風に感じています。
僕なりの時空を超えるお話に1週間お付き合いください。
学びとは、教えを引き継ぐという事でもある。
教えとは先達の方々の気付いた物でもある。
誰かが発見した、大自然の中の法則の有効な使い方が学びであるように僕は感じる。
色々な物を世の人々は学ぶ。
学ぶとは、一体どういった事なのかな。
学びの時間の中で、僕はそんな事を感じたりする。
技術を学ぶ、それだけでは足りない気がする。
技術とは本当の時に、いかに使うのかに絞られるように感じる。
だから、使えない技術には意味が無いとも言える。
武術や格闘技では、練習で使えても、実際には使えない。
つまり練習では強く本番では弱いという事、そんな事は多々在る。
本番に弱い、それは、実際には使えないという事でしかない。
スポーツでもそうだし、もちろん臨床でも同じ事がある。
練習で強くても、試合では強くない。
スポーツでは当たり前のようにある。
臨床でも沢山の患者さんが来れば、色んな個性がある。
相性で治ったり、治らなかったりでは意味が無い。
本当の時に、一体どうやって向き合うのか。
それが学びの根幹のような気がする。
本当の時に、一体どうやって創始者が向き合って
その技術が産まれたのか。
そこを感じる事が、学びの根幹のように僕は感じる。
根幹を感じて学び自分の物にすれば。
弱い事も治せない事もなくなる。
治せない臨床では、上っ面の技術や思想を学んでるに過ぎない。
創始者の魂のような物を、感じて日々を過ごす。
その繰り返しが自分の中の方向を決める。
自分の中の方向とは、創始者の方向とも言える。
考えや身体の動かし方、その内側に潜む見えない物。
そこを感じ学ぶと、変幻自在に技を操る事が出来るようになる。
変幻自在に操る事が、技術を活かす事に繋がる。
全ての技術はこのようになっったら、このようにやった。
そうしたら上手く行ったという過去の結果に過ぎない。
過去と同じ事はなかなか起きない。
過去の結果を参考に、自分の中に操縦出来る軸を創り上げる。
それは創始者の魂を感じる事。
学びとは時空を超えて
創始者の魂と触れ合う事のようにも感じる。
東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛他
Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛他