今週は日下が担当で、テーマは「神経症」である。すべての病気につながる原初的疾患と言われる神経症について考えてみる。
身心健康の条件は、からだと心を通じて全面的なくつろぎの態勢が持続されなければならず、そのどこかに緊張、硬結があるようでは健康の恩恵に浴することは難しい。長い年月の間、健康法と呼ばれる種々の修練を真面目に行なってきたにもかかわらず、一向にさほどの効果もあげることができないのは、身心におけるくつろぎの状態にないからであろう。
中国の天童如浄禅師より「参禅は身心脱落である」との教えを乞うて悟りを開いたと言われる道元禅師は、この身心脱落が、まさに絶対的なくつろぎの境地であると言っている。しかし、そんなくつろぎを得るというのは決して容易なことではない。絶対的なくつろぎを得るのには、からだと心の両面からの工夫を要する。が、それよりも重要なことは、からだと心の中間にある神経を和らぎの状態におくことにある。なぜなら、くつろぎの基にあるのは神経の和らぎにあり、その神経を和らぎの状態にするためには、生命のしくみである緊張と弛緩のバランスとリズムが必須条件となる。神経組織、とりわけ心身一体の機構の鍵といわれる自律神経は、互いに対抗的にはたらく交感神経と・副交感神経からなっており、この両神経組織が調和しているときに、はじめて健康は保証されるのである。さらに左右両半身神経がバランスよくはたらいているときに、健康を維持することができる。
ところで、緊張と弛緩のバランスというのは静的なものではなく、互いに相反する動きやはたらきの動的なつり合いの上に成立する。生体バランスというのは、生命のリズミカルな動きそのものであり、全身的なくつろぎを得る条件は、バランスとリズムが充たされない限り生まれてこない。だから、どんな流儀の健康法といえども、その技法のどこかで必ずバランスとリズムの条件を充たしている必要がある。そうでなければくつろぎをもたらすことはできない。しかし、そのくつろぎ自身もまた一つのリズミカルなバランスの中で緊張と拮抗している。
操体のくつろぎにおいても、一方では操者の介助、抵抗する緊張と対抗すると同時に、他方では自分のなかに呼吸や心臓鼓動のリズムにともなう緊張と弛緩のバランスを包んでいる。操体のくつろぎは緊張を背景とし、且つ内に含む総合的な態勢なのである。そして操法の後に続く身心脱力における状態こそ、くつろぎの境地と言えるものだ。操体がこのような結果を生むのは、からだや心を整え且つ強める前に、まずその中間にある神経などの要素を調整し強化するからだ。この中間要素の調整強化ということは、全人的な健康を築く上に特に大きな意義をもっている。
このようにからだと心の中間にある神経は単なる心でもからだでもなくて、しかも両者の一面をそなえている。心である精神と肉体であるからだと、そしてそれらをつないでいる神経という関係で身心一体の人間ができあがっているのだ。だから神経という中間段階を通路として心とからだは複雑微妙な交通関係にある。ゆえに心の動きは多少とも必ずからだに影響し、からだの状態の変化はやがては必ず心に結果を及ぼすことになってしまう。そのような関係の中間にある神経にもし疾患が、すなわち神経症にかかっていたら、身心一体の関係はどうなってしまうのだろう。
明日につづく