日下和夫(くさかかずお)
テーマは 「正義」。 「正義」 は 「道徳的」 な正しさや 「良心」 に適った概念であるということに一応はなっている。 しかし、通常の生活では 「良心」 という概念はあまりにも簡単に考えられすぎている。 まるで誰でもが良心をもっているかのようだ。 実…
臨床結果に感謝 私は療法家として生計を立てるようになって、もう随分と年月が流れた。 その間に色んな患者さんと接してきたが、今回紹介するような臨床例も多々ある。 参考にしていただければ幸いである。 その人、A氏はこう訴える 「頭痛がするんです。 長…
心の傷を感謝で受け容れる 我々人間は自我という過敏なものを持っている。 それは傷口のようにいつも開いていて生々しい。 それは触れられると痛む心の傷でもある。 ちょっとした言葉、ちょっとした仕草・・・・・・相手は自分に何をしたか気づいてさえいない。 だ…
痛みに感謝 もし、「痛み」 というのが本当は自分の友達だとしたら、どういうことになるのだろうか。 痛みとは自分の人生について重要な情報を与えてくれるもので、それに耳を傾け、その情報に従った場合、痛みは消えてしまうとしたら・・・・・・? きっと、痛み…
食べ物に感謝 「医食同源」 や 「食は薬なり」 や 「身土不二」 などの言葉を聞いたことがあると思う。 これは健康のためには何を食べたら良いか、というようなことを言っている。 しかしながら、食養の専門家たちの中には、「食」 を 「物」 の面からだけし…
健康と病気、共に感謝 我々人類において、感謝といえば何をさておいてもまず、「健康」 に感謝せずにはおれない。 健康であればこそ何でもできる。 努力することも怠けることも、善人であることも悪人になることも、すべて自由に選ぶことができる。 健康とは…
人類誕生の功労者、月に感謝 昨日は生物の主要な形態要素である 「ナトリウム」 について述べたが、今日はそのナトリウムを含んだ海水ができる一番の功労者である 「月」 を考察してみる。 銀河系宇宙の中で地球は水の惑星と呼ばれているが、地球の表面を覆…
人類にとって最も基本的な感謝 地球生物の生命活動の根幹を担う重要な元素であるナトリウム。 地球上のすべての生物といってもいいくらい生命体にとって、ナトリウムは生きていくのに必要不可欠な元素である。 我々人体についても例外ではない。 本来、ナト…
ある本を読んでいて、このようなことが書いてあった。 原子物理学者のアルバート・アインシュタインは、死に際に自分の人生についての見通し、すなわち 「見立て」 ができなかったことを悔いていた。 アインシュタインが死ぬ前に、誰かが彼に尋ねた。 「もし…
真の 「見立て」 というのは、未知なるものについて見通すということだ。 そのためには既知なるものの内にとどまっていてはいけない。 自分の知識の境界内とどまるのは 「見立て」 ではなく 「もくろみ」 である。 そのもくろみゆえに極めて打算的になってし…
精神疾患のある人はネガティヴな気分にあるとすぐにも精神療法家に会いたがる傾向がある。 だがそれは精神療法家に会うのに適切なときではない。 ネガティヴなときに会っても、せいぜい療法家の同情を得るだけである。 そうではなくポジティヴなときに会って…
私のところに操体の施療を受けに来る男性A氏がいる。 このA氏に、「具合が悪くなってから来るより、そうならないように日頃からヨーガをしてみてはどうか」 と、私のヨーガ指導を受けてみるよう提案してみた。 A氏は聡明な人で弁護士をしている人だが、そのA…
三日目も 「見立て」 が起こる心の自然発生的な何かを考察するプロセスにおいて、意識と無意識をさらに深く掘り下げてみる。 人生において実利的に生きるために心を狭めることは必要ではある。 だが、それでは心の内の小さい部分だけが自分の自己とみなされ…
昨日は 「見立て」 を考察していく中で子どもたちの 「意識」 に注目した。 今日もその意識についての一考を続ける。 子どもたちは、あるがままでいたら、何にも焦点を合わせようとしない。 子どもたちの意識というものは、まわり中に開いている。 あらゆる…
テーマは 「ミタテ」。 日本文化における 「見方」 や 「見通し」 というのは、 「見立て」 という多次元の感覚によって、より瞑想的な直感を生み出すことができるようになっている。 ネット検索してみると、「見立て」 について実に多くのことが書かれてい…
今回はブログの初日より 「真理を知る」 ということについて特に拘ってきた。 そして、「プロ意識」 とは 「知る」 ことであるとも言った。 その知ることの 「知」(knowing)が死んで萎縮し、「知識」(knowledge) になる。 それから更に知識が萎縮すると …
からだの不調を訴える一人の男がある療術家を訪ねて自分のことについていろいろと話をした。 自分は菜食主義者であるとか、アルコールには一度も触れたことがないとか、煙草など一度も吸ったことがないとか、あれやこれやと話をした。 すると、療術家は言っ…
西洋医学は生命に対して論理的な姿勢という間違った姿勢をもたらした。 それは肯定するか否定するかどちらかしかないというのである。 「両方とも真実であるということはありえない・・・・・・」 と。 すなわち、診断学に基づく検査結果によって診断が下されると…
今回のブログの初日に 「真理を知るということは非常な危険をはらんでいる」 と書いた。 知るということは確かに危険である。 人が真理を知るときには、その人はこの複雑きわまる多様性を知ることになる。 そしてどんなことをしようとも、その人はこの絡み合…
これは聞いた話だが、あるときこんなことがあったという。 ある未開社会において一人の呪術師がいた。 呪術師は弟子たちに囲まれて呪術を行なっていた時のこと。 癒しの施術をしていた患者に水を飲ませるため、いちばん若い年少の弟子に井戸で水を汲んでくる…
昨日、プロフェッショナルとは、物事の真理を知った者のことだと言った。 まず 第一に、人が真理を知るときには、生命の複雑さとその多様性も知ることになる。 人が知るときには、生命がいかに機能するか、その神秘的な働きもまた知ることになる。 基本的な…
いかなるプロフェッショナルであっても誤解されることを恐れてはならない。 そしてプロと言うのは真理を知っている者のことであるが、その真理を知るということは非常な危険をはらんでいる。 その理由はたくさんあるが・・・・・・。 そして真理は必ずといっていい…
昨日のつづき 最終日は、廓庵の 「詩」 へのアプローチで、十牛図の最初に書かれた牛の探索である “尋牛” からのメッセージをひも解いてみよう。 『この世の草原に、私は牛を訪ね、果てしなく、高い草をかき分ける』 この高い草とは何だろう? これはとても…
六日目は、十牛図に追加した廓庵の「詩」の題名へのアプローチに入っていきたい。 最初の詩の題名は “尋牛” これは牛の探索について 書かれたものである。 この 「牛」 というのは、生命力や活力やダイナミズムの象徴と言われている。 牛はまさに生命そのも…
昨日のつづき 廓庵はまず、絵や夢でものを考える子どもたちと同じ無意識の言語を試みた。 なぜなら、それが最も深いものだからである。 そして廓庵は十牛の図を描いた。 だが、廓庵は不満足を感じていた。 そこで廓庵はその不満足を埋めるために、付録として…
昨日のつづき 昨日、絵や夢でものを考える子どもたちや未開地の人たちのそれは無意識の言語だと言った。 そして、文明化した我々はモノクロームだと。 そのようなモノクロは文明の言語であるが、虹は未開の言語になる。 モノクロは本当の言語ではない。 しか…
昨日のつづき 廓庵の描いたあのような牛の図は無意識の言語と言われている。 それは視覚化の言語でもある。 また、それは子どもたちの言語である。 子どもたちは絵でものを考える。 それだからこそ、子どものために絵本ができた。 そして、子どもの本に大人…
二日目からは、東洋の覚者、中国の禅師廓庵のアプローチを題材にした。 禅師、廓庵といえば、「禅の十牛図」 を描いた人物として知られている。 が、禅の十牛図は、元々は十ではなく八つだった。 というのも、十牛図は仏教のものではなく、老荘思想の流れを…
今回の大テーマは 「アプローチとメッセージ」 である。 これを受けて初日は、真実へのアプローチとそのメッセージという 「ソクラーテスのクライマックス」 を題材にしてみようと思う。 時代は二千数百年遡ったギリシャ、アテネの裁判で神を冒涜した罪で毒…
最終日のMAは 「五感のマ」 。 我々は、自分の五感を使って現実を見るものだと思い込んでいる。 五感が、世界を見る窓のようなものだとずっと思い込んできている。 それはある意味では正しいが、実際は窓というよりフィルターに近い役割を果たしている。 そ…