ふとした思いつきや気づきが大いなる進化を生むことがある。しかし、その進化には思いつきや、気づきに、どれだけ意識をむけてその現象をみつづけ、意識を刻みこんでいくか。その積み上げられていく心、いや魂の問いかけが必要だ。己れ(おのれ)のイノチとして、息をしつづけていける思いなのか気づきなのか・・・・という、自分への問いかけがあるかということなのである。
瞬間湯沸かし器であっても、3日坊主のテイであってもならない。
それは自分にとってたのしい事かも知れないけど、人様(ひとさま)がどれだけ、その気づきを共有して生かすことができるのか。人生のよろこびにかえられるのか、である。人様(ひとさま)とそのよろこびを共有できないことこそ、つまらぬ楽しみはない。
一人よがりのたのしみに終わらぬように、その気づきを、思いを育てていくことです。
そのことに息を吹き込み続けていくことです。
おかげ横丁で一服
伊勢神宮門前の猫。