リラクセーション(relaxation)
フラストレーション(frustration)
日本語で言えば、前者は、”くつろぐこと”、
精神・神経・筋肉の
”過度に加わった緊張状態”を取り除いたり、和らげること。
後者は、”理”に添っていない。
つまり、”欲求不満”という現象変化。
故に、ストレス=欲求不満ではないのである。
たとえ、ストレッサー(ストレスの原因)が加わっても、
”その人にとって”・・・の、
時間的・空間的な如限度を越えなければ、ストレスは受けない。
つまりフラストレーションは成立しない。
これは運動量の過多=運動系の故障とならない理由にもなる。
しかし”そのひとによって”こそ、曲者なのであり、
ハッキリ言ってしまえば・・・自己責任なのである。
「全ては(例外なし)手前で責任をとれ!」と、なってしまう。
(コ、コレって厳しすぎじゃ・・・!?)
だから私は、ホントかウソかやってみながら、
納得せざるを得ない「操体」
健康維持増進医学を修めている途中なのである。
では、それを学ぶことのない人間はどうなるのか?
”無知”ゆえに、こんなもんだろうな・・・となる。
こんなもんで済ますには、術(すべ)を知って、
法(のり)を知らないのが肝心であろうと思う。
まあ、それでも充分!
何とかなる人も確かに沢山いる。
ただ、無知でいられるほど、
人間は我慢強く出来ていないようである。
なぜなら、知りたい欲求あってこその人間、
それこそ人間の本質なのだから。
ウソだと思うなら、
澄み切った青空の向こうを見上げてみるといい。
そこには光が見えるだろう。
それこそ、
先人達の残してくれた”思考の輝き”と思って間違いない。
宇宙哲学と人間の哲学の共通点を、
ホンの少しでも学んでみたらわかるだろう。
故に、厳しいかもしれないこの現実世界を、師はこう語った。
「この世は極楽だ!」
「有り難く出来ているんだな」
「動きよりも感覚の勉強をしなさい」
また、先日書いたように、100%例外無しの”絶対”はある。
生まれてきたこと。
存在していること。
死ぬと言うこと。
私が思うにそれは、
そのワケがあるってことでもあり、
その”ワケ”とは、生命の法則性であり、故に自然。
「からだ」を通してみると生命感覚とは、
本当にわかって欲しいことがあるんだな・・・と理解る。
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「生より死にうつると心うるは、これあやまり也。生はひと
ときのくらゐにて、すでにさきありのちあり」 ※注
「人は天地の間で摂理を与えられている」
三浦理事長は師の意志を継ぎ、深化して語る。
「イノチは『快』に従いたいという意志を持っている」
オカムラも、時に迷走し、真時に自律すると、ふと想う。
「死ぬとか生きるとか気にならない・・・。
その瞬間に出会えた自分自身は、愛おしくてたまらない」と。
※注訳:「生は、生きているときの、ひとときの状態で完成している」