(昨日のつづき)
グリーンインフラなるものを知り、興味を抱き始めたことと同時に、
気が付いたら私の日常のなかで、サバイバルの映像を眺めている時間が生まれていた。
ディスカバリーチャンネルの大人気番組、エド・スタッフォードの映像だ。彼の大自然のなかでのチャーミングな立ち振る舞いがクセになり、日々たのしませてもらっている。
様々な国の過酷な自然環境のなかで、ほぼ身ひとつで数日間をあの手この手でなんとかしのいでいく。生命維持に不可欠な飲み水や火の確保、寝床や食料の調達など基本的にすべて囲まれている環境からいただいて生活をする。
そのクセになる一因のひとつは、このサバイバルエンターテインメントに必要な立ち振る舞いがブリコラージュの姿勢と重なるように感じるからだと思っている。身近にあるもので、創意工夫をして対応していくそのスタンスだ。
お金さえあれば、必要なものは自分でどうにか拵えなくても、他所からすぐに手に入る。そういう生活ではなかなか身につかない原始的なヒトの智慧である。私自身もそういった姿勢は元々培われていないところに、輪をかけて錆びついているのを痛感する。
グリーンインフラに話を戻し、市町村や自治体、国を挙げての大規模な取り組みにはもちろん期待していくしかないが、同時に重要なのは個人レベルでできることを各人が模索することではないかと感じている。
模索するなかで行われるのは、自然を観察して気付き、古の智慧を見直し、小さなところから身の丈の実践をたのしむブリコラージュの蓄積だと思う。やってみて考えるの繰り返しで、自分自身の生活が少しずつ変化を遂げていく。
操体の目線で眺めてみると、グリーンインフラには「環」境から自分自身の生活を見つめなおす、格好の機会となるのではないかと感じている。