数日間に渡り、グリーンインフラなど生活環境を新たに見つめなおす取り組みについて、興味関心のあることを取り上げてきたが、この大きな循環に想いを馳せて、じぶんごととして何か再検討していけることはないか考えることが、ほとんどそのまま自身のからだの環境のこととして重なってくるように感じている。
自然に本来備わっている多様な機能、多面性を再評価し、その潜在力を信頼して人間の営みを再構築する。
これは「からだ」という自然環境から学び、からだに本来備わっている様々な可能性を第一に信じて、操者にできることを模索している操体の基本姿勢と重なっているように感じる。
グリーンインフラでは「雨庭(あめにわ)」という雨水の浸透しやすい装置を都市の景観や家屋の庭にデザインする提案などもされている。私もDIYでぜひやってみたいと画策している取り組みで、これは京都の寺院仏閣の伝統的な石庭様式で実践されていたことの延長にあるものとのこと。
古の智慧は自然の循環を踏まえて設計されているものだと改めて感服する。
この智慧を見直し、再構築する面白さがグリーンインフラの分野にはある。
智慧を見直すと言えば、操体の創始者、橋本敬三先生も温故知新の人であったと聞く。
当時の西洋的医学のアプローチの限界から、民間療法などの智慧に目を向け、実際に実践者との交流を通して学びながら、からだに備わる自然に目を向け、そこから自然法則の応用貢献の萌芽を感じ取っていたのではないかと思う。
自然を師として物事を考え始めると、その場だけの解決では済まない事を痛感させられる。
プロセスの辿った先に向かう方向性が、大きな循環の流れにしっかり重なっているか、それとも、滞留の道筋へつながっているのか。
ヒトのからだも、そのからだを取り巻く環境も、受け取ったものが素直に流れていけないことが発端で悩みの種となっている場面が目に付くようになっているのではないかと思う。
いただいたものを、どんな風に自然におかえししていけるかは、その人自身の経験値によって営まれるアクティビティで、それは結構な「じぶんごと」で手間はかかるかもしれないけれど、面白い。
いいか、悪いかやってみることは、「自然」と直接の関わりをもつこと。
いつものペースで「パッ、パッ」とはできないかもしれないけれど、色々試しながらの「ゆっくり」を味わえること。
私は今回グリーンインフラから色々なきっかけをいただきましたが、みなさんもお近くで、何がしか興味関心のアンテナがひっかかるものがあれば、流れを見直すきっかけとして、アクセスしてみてはいかがでしょうか。
それでは、一週間のおつきあいありがとうございました。
明日から友松実行委員のフリーがはじまります。
おたのしみに。