瀧澤さん、一週間のメッセージありがとうございました。
心の振動をいただいて、引き続きブログのテーマ「フリー」を引き継いで寺本が担当します。
本日から一週間よろしくお願い致します。
わたしたちは「自然」から色々なものをいただきながら生きている。
そんなことを改めて感じる今日この頃です。
ここ数ヶ月ほんのわずかな時間ではありますが、小学校の畑の管理を通して、土に触れる機会を持てるようになり、「実際に触れてみる、やってみる」という経験を味わっています。
作物を育てるようになり自分自身に変化を感じたのは、天候について気にかけることが以前よりずっと増えたことです。以前は、『台風が発生しそうです』、というニュースが聞こえてきても、「あぁ進路次第では何日か後は雨が大変そうだなぁ」くらいしか考えていませんでした。
でもトウモロコシを育てはじめると、実が育ち始めたトウモロコシが何日か後にやってくるかもしれない暴風雨によって倒れないように、「もう一段高いところで支柱に止めておこうか」などと仲間と備えについて相談するようになりました。
自然を直に相手にする機会をもつことで、自然のリズムやそのながれをキャッチしながら、人間にできることを考えて、手をうごかすようになる。
あぁ、普段はスーパーや八百屋さんで野菜を買うお金を払ってこういった自然と向き合う作業を農家さんに代わりにやってもらっているんだなぁと。
そして、いろいろなものを自然から与えてもらっていて、享受しているけれど、そのいただいたものを、ではまた今度自然にどれだけ「おかえし」できているだろうか、なんてことをまた考えるようになりました。
家庭の生ごみのことが以前から問題となっていて、生ごみは絞ったり、乾かしたりしてから燃えるゴミに出すようにしよう、なんてよくあるけれど、野菜の残渣を燃えるゴミとみなしている時点で、自分のなかで自然におかえしするということからは途方もない距離がまた開いていっている気がしてしまう。
そんな悶々とした想いを抱えながら、試しにコンポストまがいなものをつくってまた次の作物を育てる土に還していけないか、なんて枝豆の殻に米糠をふりふりしながら悪あがきをしてみる。
作物栽培とその消費活動に限らず、自然の持っている自然な循環のなかに、人間が都市化した生活を引きずってその循環のながれを止めずに重なっていくには、結構な勉強と工夫と細やかな変化を要することを感じる。
基本的には人間の生活は自然の持っている循環能力から離れたところで、人間のコントロールのもとに営もうとしているように思えてきて、一部ではそれが結構うまくいかなくなってきていて見直しを余儀なくされているように思うのです。
もう少し自然を観察して、観察して、観察して、、、
いただいたものを、自然におかえししていくようなこと、何かできないかなぁと散歩しながら考えています。
自然のなかの都会に生活しながら、自然に一巡していく感じを、少しずつ自分なりの関わりとして模索できないかなぁと。