東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

2018-01-01から1年間の記事一覧

Dr.プラークという扱い⑤

千島学説には橋本敬三師のような支持者もいる。 後継者、支援者でもある森下博士が現在もその考察を続けており、血 液中に蠢くように認められるものを先輩指導者に尋ねるたび、「それ はゴミ(プラーク)だ」と、失笑され続けていたと森下博士は語る。 ガスト…

生気学と機械学(メカニクス)④

三木成夫博士は、九州帝国大学工学部で飛行機の設計を学び、それを 「形態学」の模式図に表し、動物のからだは機械学(=メカニクス) と、”推進力”からなる「生体力学エネルギー」で生かされてきた。 この推進力を得るため、連綿と繋がっている生命の意志は、…

細胞可逆・新生説③

千島学説とは、千島喜久夫博士の論じていた三つの学説である。 詳しいことはうウェブ検索して頂くとして、ips細胞を簡単に言ってしまえ ば、概に皮膚などに分化した自分自身の体細胞を遺伝子レベルでリセット して、万能細胞に戻し再生医療に用いていくこと…

生気論と機械論②

ルドルフ・ウイルヒョウ氏(1821~1902)は、当時ドイツ生 物学や医学、さらに政界でも絶大な権力を発揮して、ベル リン大学学長となり、「全ての細胞は細胞のみから生まれ る」と、科学的な立場を強く提唱していました。 当時の学会において、ヒポクラテスや…

常識と過去の権威①

茅ヶ崎在住、静岡市駿河区出身の岡村郁生です。 テーマ「常識を疑う目」にて一週間お付き合い頂きますので、どうぞ 宜しくお願いいたします。 さて、今回のテーマで注目してみたいのは、橋本敬三師が著書でも触 れている、現代医学の捉え方の基礎を築いたル…

常識を疑う目 その7

会社の中でのあるあるで それ以前からみんなやってました。 これがこの業界の常識。 こうするのが当たり前。 ということをよく耳にします。 が、そこでこれって何かおかしいんじゃないと疑問を投げかけることで気が付くことがいっぱいあります。 ベテランよ…

常識を疑う目 その6

普段は主に左目を使って生活をしています。左目を使うと結構新しい気付きがあります。お金や地位だけでは判断できないこと。電車に乗って移動している際もパッと飛び込んでくるものに目がいき操体的な見方で判断することが多いです。一般的には常識だと思う…

常識を疑う目 その5

触れているだけでからだが改善した。 触れてもないのにからだが改善した。 遠く離れた場所なのにからだが改善した。 そんな常識を疑うようなことが操体では起こっています。 かなり怪しいです。 でも何だかわからないけど知りたくなりますよね? そう感じた…

常識を疑う目 その4

私の大好きなミスチルことミスターチルドレンが新しいアルバムを発売されました。なんとタイトルが「重力と呼吸」もしかしたらミスチルの櫻井さんは操体のこと知っているのかな?と思わせるタイトルです。そんなこと常識では有り得ない!しかし日々操体では…

常識を疑う目 その3

あれなんかこれ違うなぁと思ったことは、 大抵当たってるなぁってと日々感じています。 何だか自分の臨床は間違っていないかな? これってホントにからだにとっていいことなのかなぁ? と思ったらぜひ2018年秋季フォーラムにご参考ください。 日時:2018年11…

常識を疑う目 その2

以前の会社では私は主なお客様は製薬メーカーだった。 何かお客様同士のよいコミュニケーションの場がないかと思い保険のセールスのようにボーリング大会を開催してみた。 自社の製品PRは全くせずに。 参加費を徴収したが思いのほか参加者が30名以上集まった…

常識を疑う目 その1

今週からブログのテーマが「常識を疑う目」に変わります。 1週間お付き合いよろしくお願い致します。 三浦先生からゴルフのグリップを逆にしてみればと言われた。 早速練習場で試してみた。 さすがにスイングではボールに当てることすら出来なかった。 しか…

七日目

やはり、日本の未来のためには、若者を大事にする事だと思います。 私の尊敬する方々は、言葉や表現は多少違いますが、 「人間なんて、そんなに大差はない。要は、自分の好きな事を見つけて、それに打ち込めるかどうかだ。継続できる事が才能です。」 という…

六日目

日本文化の特性は、重層的であることだ、と言われます。 異質なものを否定せず、無毒化して吸収したり共存する技術を持ち合わせています。 「習合」という類比の方法 「ものまね」という、そのものズバリの真似ではなく、そのものの本質だけを真似て表面は適…

五日目

日本的なものを探究していくと、大陸からの輸入文化を日本風に仕立て直したもの、というところに行き着くと思います。 明治以降は、同様に西洋文化を輸入して仕立て直して来ました。 ということは、今後の可能性として、日本的なものは、どんどん変化してい…

四日目

歴史に学び、歴史を捨てる 不易と流行 変わらないもの、それが学ぶべきもの「歴史」でしょう。 我々が今日やっている社会の諸般など『春秋』に定まれり、この域を出ずーと言った人もいました。 それと、時代を変えるもの、これが流行です。 流行には、模倣と…

三日目

過去の成功体験にとらわれるな!と口で言う事はたやすい。 しかし、それを実行出来た人を見るのは稀である。 自己の芸術を壊して、新しい芸風を築く人 自分が若い頃立てた学説を否定して、新説 を打ち出す人 自分が創った会社を誰かに譲って、新しい 事業を…

二日目 

どの時代にも、大人と若者の葛藤はあった。 新旧は鬩ぎ合い。青白き若者も、やがては疲れたおじさん、おばさんになって、角が取れた、と言われて落ち着いていくものだった。 しかし、今、時代は動いている。前の世代の背中を見て歳をとっていく世の中ではな…

一日目

大人が最もやってはいけない事は、若者の勢い(やる気)を殺す(削ぐ)ことである。 若さとは、可能性である。 その分、脆弱である。 その分、幼稚である。 大人は危なっかしくて見ていられないので、何とか世知をもって身を固めさそうとする。 しかし、若者…

可能性7 ~なぜかは分からないが~

本日で最終日になります。 近頃は講習の場においても臨床を通すことが多く、場が増えるにつれて人に見せる機会も多くなりました。 その中で「なぜこうしたのか?」という質問を受けることがあります。 聞かれたことは素直にそのまま答えるので、ありのまま答…

可能性6 ~日常のちょっとしたことから~

自転車が壊れてしまったので一週間の間職場まで歩いて行っています。 笹塚から原宿まで往復で約二時間程ですが、歩くということをじっくり味わいながら自分のからだと会話しています。 ずっと自転車慣れしてしまい、なかなかこういった機会がなかったので見…

可能性 ~繋がっていること~

以前にも書いたことがありますが、操体の学びを得ていると「ある日突然出来る」という不思議な現象に遭遇します。 これは操体に限らず学び続ければ誰でも遭遇することで、個人の能力に関わらず早かれ遅かれ、出来なかったことがいつの日か出来るようになるの…

可能性4 ~臨床と人生の可能性~

最近は何かやりたいことがあったら、まずは考えるよりも行動に移すようにしています。 臨床にしても、プライベートなことにしても思いついたことは結果を気にせずにトライする。 昔から何をやるにしても、まずは物事を順序立てて、その結果を良いものなのか…

可能性3 ~ご縁~

近頃、大きな成功を収めている人を見ていると、例え本人が望んでいなくても自然に人が集まってきているように見えます。 そういった人達は人とのご縁も当然大切にしていると思いますが、それ以上に自分がやっていることとのご縁を大切にしている。 自分の新…

可能性2 ~周囲の人達から受け取っているもの~

操体の学びを得てから学ぶ以前と比べやってみたいことが増えたなと思います。 それは周囲に自分が興味を持てることを趣味の範囲ではなく、生計を立てて取り組んでいる人が多く、その影響が大きいように感じます。 音楽にしても、アートにしても、昔から自分…

「可能性1 ~一つの本との出会い~」

三浦先生、一週間ありがとうございました。 今週からは三浦寛幸が担当致します。お付き合い下さい。 今回のテーマは「可能性」です。 このテーマを聞いた時、ふとこの本が脳裏に浮かびました。 新装 ぼくを探しに 作者: シェル・シルヴァスタイン,Shel Silve…

操体の未来2

今までのこだわりを捨てて、 このクエスチョンの中身をあからさまにしていくことである。 「三浦は一人、何をつぶやいているのだ」と 他人事として受け止めて欲しくはないのである。 私も皆さんと同じ操体という器を学んでいるのだから、 三浦一人のたわごと…

操体の未来

この世界は七十数年前に 陽の時代から陰の時代に時が変わったと言われる。 確かに全てのことが今のままでは間に合わない、 対応しきれない状態に追い込まれている。 操体法も流れが大きく変化した。 「楽から快への転換」である。 今、「快」への問いかけが…

変化し続ける

操体法の創成期の時代は 主に体幹の動きをからだの正中に集約し、 生体のバランス制御を測る目的がなされていた。 「正中集約運動」である。 しかしながらそれでは制御がきかなくなった。 それが「快」への転換である。 しかしその制御が未体系のままである…

構造運動力学

今まで捉えてきている「構造運動力学」にしても、 それは構造からみた運動の範囲内のことである。 つまり体幹構造から捉えた運動のことである。 それは四肢末端から捉えた四肢末端と体幹とをつなぐからだの動きとは別である。