昔、月刊誌に文章を書く機会を得て、原稿は非常に時間がかかり、
当時とても骨が折れたことがあった。
その原稿は掲載されても、金銭の報酬を得ることはなかった。
また何かの講演を頼まれ、 その報酬を受けないこともあったり、
その時は損した気分になったものの、操体の勉強を通じて学び、
知り合った方は、ワタシにこう言った。
「やらせてもらえるだけで、充分有難いじゃないですか」と。
いまや、丁稚奉公は死語となっている。
どんな御託をならべても、ハローワークでは通用しない。
たいした仕事もできないのに、時間を費やしたんだから、その分
報酬をもらうのは当然、と「からだ」は想うだろうか?
欲深さは妄想。報酬やら財産に、心底満足するのは大変なのだ。
自分の身の程を知らず、逆に自分の才能を不満に思っている者も
少ないことにこそ、問題があるのではないだろうか。
中国の諺にも、
「道が わかる気でいる時ほど 道に迷う事は無い」と言うらしい。
道がわかる気になってしまったら、妄想とそう変わらない。
この世は、人生の幸福その有難味を感じてからこそ、修業だろう。