東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧

操体との出会い 3

操体を臨床で行なっているという方には2種類います。 何か他の療法と複数で併せてやっている方、そして、操体を専門でやっている方です。 両者の違いは、楽を指針にしているのか、快を指針にしているのかが分かれ目なのではないかと思います。自分の場合は務…

操体との出会い 2

操体について最初に学んだのは、操体は自然法則の応用貢献であるということと帰一の法則でした。人は一番きもちがいいところから生まれ、一番きもちがいいところに帰っていく 生まれる先から絶対的に救われている生命であり、また、その神性に帰っていくのだ…

操体との出会い

こんばんは。 今日から一週間よろしくお願いします。テーマは私にとって操体とはです。手技療法をやっている方にとって、操体を知らないという人はおそらくいないんじゃないかと思います。 柔整の学校でも針灸の学校でも整体の学校でも操体の実習の時間があ…

私にとって操体とは検証である(最終日)

症状・疾患に捉われないというのが操体のスタイルであるが、最終日はこういった「病気」について検証してみる。 パソロジーという言葉がある。これはギリシャ語のパトスとロゴスからできた病を論ずる学問のことで、すなわち病理学という意味になる。そして普…

私にとって操体とは検証である(六日目)

昨日の検証で、人間機械のために必要な燃料として、燃える成分である「食」を語ったが、同時にもう一つ別の要素が燃料を燃やす成分としての「酸素」である。六日目はその酸素について検証する。 燃やす成分の酸素(O2)は、燃える成分である炭素(C)と密…

私にとって操体とは検証である(五日目)

五日目は「食」の検証である。 自然界には、生物学的な一大サイクルが働いていて、その中でいくつかの化学元素が単純な物質から複雑な物質へと次つぎに変化していき、再び単純な物質の形にもどる。その際、エネルギーの形態変化が必ず伴っているのであるが、…

私にとって操体とは検証である(四日目)

人間のからだの中には生理的、心理的な力となって流れるエネルギーがある。四日目は、このからだの中を流れる生体エネルギーについて検証してみる。 まずエネルギーとは一体何なのか? 物理の本を開いてみると、仕事をなそうとする系の状態で、その仕事が実…

私にとって操体とは検証である(三日目)

操体の「動診」というものに接してみて、からだの動き、とりわけ筋肉活動に考察を思いめぐらすようになった。その筋肉活動をこなしていくにはそれなりの熱量、すなわちエネルギーが必要になるわけであるが、からだが消費する全熱量の三分の二以上が筋肉を働…

私にとって操体とは検証である(二日目)

操体臨床において、クライエントの症状・疾患というものについて診方、感じ方に変化が起こったのは一年ほど前からである。この頃からクライエント自身が訴える症状・疾患の内容を聞くことよりも、クライエント自身が自分のからだに起こっていることをどのよ…

私にとって操体とは検証である

操体は我々の健康や病気、からだや精神の衛生といった日常問題を考えることにおいて、感覚医学とでも言うべき原子論的な自然法則を意識的にみるきっかけを持つことが出来るように思う。そして私にとって強烈な操体用語「からだの無意識」というのが初日の検…

操体は“自然法則の応用・貢献”

今日は「息」と「食」についてお話ししたいと思います。 まず「息」について。ふだん呼吸について意識することはないと思います。 呼吸法というものはありますし、それを実践している方もいらっしゃるでしょうが、 それは一定の時間取り組むものであり、一日…

「言葉は運命のハンドル」

今日は「想」に関してのお話です。「想」とは精神活動のことです。 簡単に言うと、その人がどのようにものを考えるか・捉えるかということに なるかと思います。橋本先生の言葉に「言葉は運命のハンドルである」と いうものがあります。これは、今、目の前に…

日常生活における「動」

今日は「動」に関して、操体を学んでから変化したこと、 意識するようになったことなどについて話していきたいと思います。 操体では、正しいからだの使い方(身体運動の法則)を説いています。 1つは、重心安定の法則。これは、骨盤を要としたからだの使い…

臨床はテクニックだけで成り立つ?

私たちが生きていく上で、他人に代わってもらうことのできない営みが4つあります。 それは、呼吸(息)、飲食(食)、身体運動(動)、精神活動(想)の4つです。 これらのバランスがうまく取れていると健康でいられます。ただし、これらのうち どれか1つで…

操体は実技だけ習得すればいいのか?

講習ではまず、操体の理論について勉強します。 操体の世界観や発病までのプロセス、そして治癒までのプロセスなど。 操体は操体法のみで成り立っているわけではありません。 操体法はあくまで操体の一部(臨床の部分)なのです。 理論を学んだあとはいよい…

初の操体体験

そして三浦先生の所へ伺う日がやってきました。三軒茶屋は初めてです。 駅へ着き、電話をすると、迎えに来て下さるというので緊張しつつ待っていました。 すると、声を掛けられたので、そちらを見ると、一人のスラっとした男性が立っていました。 それが、三…

操体との偶然の出会い

今回初めてブログを担当する、四番サード小島(おじま)です(長嶋じゃなくてごめんなさい)。 今回のブログのテーマは「私にとって操体とは」です。ちょうどいいテーマなので、 自己紹介をかねて、操体との出会いから現在までを綴っていこうと思います。 1…

『操体法を習うなら、”快”は外せない』

βーエンドルフィンは脳内麻薬物質でもあり、強い鎮痛効果もあり、 身体と心のバランスにも必要であり、かつ自然治癒力からも重要な働きをもっている。”ドーパミン”も快感を感じる際のA−10神経につながっているので、即、興奮・覚醒作用をもっているのだが…

会えて、よかった。ありがとう。

『操体法を皆さんに知って頂きたいの』操体法を全く知らない人に私の名刺を渡す場合はね・・・貴方勉強不足ヨっていいたいんだけど、 操体法って整体、それとも体操みたいなものなのかしら?って言われることもあるのよ。 確かに字面だけでいえば、そんな印…

『私にとって操体とは、巡る巡る空間と時間との螺旋』

(偶然ではない操体との出会い)夢であっても記憶の一部なのだろうか。 私の叔母は車椅子に座ったまま、六歳の私に言った。 「大きくなったら、私のように自分で立てない人を、立てるようにしてあげる勉強をして、立派なお医者さんになってね」それから年は…

『私にとって操体は〜先祖代々〜子々孫々〜』

生まれてくるから、元々もっているもの。 生まれてきてから、身につけていくもの。これは、勿論どちらも大切。 ただ言えることは、人生とは迷っても当たり前。迷っているそのとき、目的を確めるコンパスがあること。 地図を確かめて、方向を決めたなら楽しみ…

『人間なんて寝ても一畳、立てば半畳・・・操体は無極無限!』

お正月とは一月七日までという説もある。 私は三ヶ日までと思っていたので、調べてみると「松の内」というのがあって、 関東では大正月の七日まで、さらに関西では十五日まで小正月というらしい。それにしても、待ち望んでいた21世紀になり、はや十二年であ…

『操体は○の連なり∞、丸く丸く納まるもの』

操体を学ぶ理由、それを私なりに言い換えるならば、操体法の創始者、橋本敬三先生の意志を感じること。操体の本を読んだけれど、そんな難しいことは子供にはわからないでしょう?ですって。 いいえ、子供は知っていますヨ。 大人になるにしたがって、一般常…

『私にとって操体はマルマルモリモリである?』

<操体を学んでいる理由ってナニ?> シンプルに捉えてみれば、生きているということは、いろいろな循環があること。 そして、からだを動かすということは重心が移動しているということ、 こんな考えてみれば、当たり前のことをじっくり考え直す機会に恵まれ…

『私にとって操体は宝の地図である7』

平成24年の最初の一週間も今日で最終日。今日は1月7日は「若菜の節」といわれる七草の日である。恥ずかしながら私も年末の忘年会から正月、そして新年会と飲めや唄えの大騒ぎで少々食傷気味でげんなりしている。そんな人のために野草である七草ゴギョウ …

『私にとって操体は宝の地図である6』

私は怖がりで弱虫だ。これにかけては自信がある。苦しみや悲しみ、恐れや怒り、貧困や飢餓など生きるための苦悩から逃れるすべを探している。操体をやっていればこれらの苦悩から解放されるのかと云うと勿論そんな簡単な話ではないのであるが橋本敬三医師は…

『私にとって操体は宝の地図である5』

ところであなたににとっての宝物は一体どんなものであろうか。車や宝石、時計や家などの物品、それとも家族や友人との人間関係であろうか。もしかしたら自分自身の思想や宗教などの目に見えないものを宝物として大切にしている人もおられるであろう。今回の…

『私にとって操体は宝の地図である4』

ブログも中盤4日目ともなると前半の内容だけではどうしても煮詰まってしまう。カレーも3日目位ならちょうど良い頃合いだとは思うが、4日目ともなるとさすがに飽きてしまう。ここで『橋本敬三論想集 生体の歪みを正す』を開きページを捲ってみる。この本は橋…

『私にとって操体は宝の地図である3』

昨日のブログの中で、快と不快の間を絶えず漂いながらと書いたが、この世の中にある現象はただ単純に快・不快と割り切れるものばかりではない。同じ現象であっても、その受け手の感受性によっては快・不快のどちらにでも受け取ることが出来るものも少なくな…

『私にとって操体とは宝の地図である2』

あなたは疑問に思ったことは無いであろうか。携帯電話にすらあれほど分厚い取扱説明書があるのに、何故私達のからだには取扱説明書がついていないのであろうか。からだの不調に悩まされている時、どうして自分のからだが壊れてしまったのかが書いてあるペー…