東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

ボクの「とうちゃん」

         ボクの「とうちゃん」
                       佐伯惟弘


今日は、12月10日(文章を書くのが遅い私は、早めに書いています)、父・佐伯清明の誕生日です。生きておれば、80才。
12年前の5月10日にあっけなく亡くなりました。
余りにも早すぎる死、、、、、、


ここまで書いて、全く言葉が出なくなりました、、、というより、様々な父への思いが渦のように浮かび上がっては消えていくため、まとまりません。


きっと、12月10日は静かに父の霊を感じ入るだけで良いのだと思います。


ですから、、、今日は、ただ浮かび上がったイメージや言葉をなるべく忠実に残していくだけにしましょう。


私は父のことを、中学まで「とうちゃん」と呼んでいました。高校になって家を出て下宿生活をしたため、「おやじ」と呼ぶ機会を失い、今でも遺影にしゃべり掛けるときは、「とうちゃん」です。


「とうちゃん」とうちゃんが、あちらの世界に行くとき、あいさつに来てくれたんよねえ。


丁度、マギー(前の妻)と布団で愛撫をしている時、
突然、空虚な時空がからだを突き抜けたことを今でもはっきり覚えとるよ。
その瞬間、マギーが泣き出し、ボクはその意味することを、はっきり理解し、このことを言葉にしてはいけないとお互い悟った。


それにしても、「とうちゃん」絶妙のタイミングで来てくれたよね、、、、あの状態でないとお互いが悟ることは出来なかったもの。


「とうちゃんはのう、ホントは船乗りになりたかったんよ。世界中、色々なとこへ行けて、良かろがえ〜。」


庭にある池の水を抜いて、鯉を穫ってるとき、「とうちゃん」は、ニコニコしながら喋ってくれたよね。
泥まみれになって、ついつい本音が出たんじゃねえ。
丁度、ボクが10才ころのことじゃった。ボクはよう覚えとる。



「とうちゃん」の実家は、佐伯家より古い神社の野口家。その7人兄弟の末っ子じゃったけん、ホントは船乗りになれたかもしれん。
けど、うちのばあちゃんが、目を付けて5人姉妹の長女のかあちゃんとお見合いさせられたんよなあ。
20才で三つ編みのお下げ髪、おでこにニキビのかあちゃん。
実は、一目惚れしたんじゃろ!


ボクは聞いたことがある、
お宮の5人姉妹は美人で評判だったということを。


かあちゃんは、テレビを見とる時、ボーと、顎をつき出す癖がある。それをボクがからこうたら、(からかうと)


「ひろむ、何言よんぞ、かあちゃんは、ワシの嫁ぞ!
かあちゃんは、ギリシャ彫刻みたいな顔しとるじゃろが。あれで、算数もようでけるんぞ。」


真顔で、ボクに言うてたなあ。
かあちゃんは、嬉しそうにニコニコしとった。


「結婚したとき、おとうさんは、カラスと生活しよったんよ。面白い人じゃと思った。そしてな、カラスが死んだとき、ポロポロ涙を流して、、、優しい人じゃと思うたわい。」


かあちゃんが、ボクにそっと教えてくれたんよ。


ボクは、「とうちゃん」と、日曜日の朝、鳥を見るのが一番好きじゃった。
「とうちゃん」は紺色の着物に下駄を履いて、腕組みをしてた。
ボクも腕組みをして、「とうちゃん」の真似。


ジュウシマツの家族が嬉しそうに寄り添ってお喋りばっかりしてた。


セキセイインコは、ルーシーショウのルーシーみたいに、ギャーギャー言うてうるさいし、、、


カナリヤはこちらの様子を伺いながら、突然、オペラ歌手になるし、、、、


あのまま、ずーとずーと「とうちゃん」と一緒にいたかった。


「とうちゃん」のお通夜の日、ボクは枕元にズーとおったんよ。
突然、


「あの〜、お話して宜しいですか。」


と若い男性が話し掛けてきた。


「我々は、清明会という会を月に一度もって、教育について語っているんです。
清明先生が校長の頃、ホントに楽しかった。
先生は、
“何でも、思ったことを一所懸命やってみろ。その前に、ワシに内容を話してくれ、結果は気にするな、責任は全てワシが取る。”
とおっしゃってくれました。だから、ノビノビと思いっきりやれました。」


男性は、静かに淡々とまるで、ボクが清明先生であるかのように語ってくれたんよ。


「とうちゃん」は清明先生いうて、慕われとったんじゃね。


お葬式のときは、800人もの人が来てくれたんよ。
そして、みんながみんな、「とうちゃん」の突然の死を悲しんどった。


かあちゃんが、野口のおばちゃんを見たとき、今まで堪(こら)えとった涙が堰を切ったようにあふれ出し、震えながら、


清明さんは、佐伯に来てくれて、本当に一所懸命にやってくれました。佐伯を実家のように思って、尽くしてくれました。ホントにホントにありがとうございました。」


精一杯、かあちゃんの本心を伝えよったよ。


「とうちゃん」見事な生き様を、ありがとう。ボクは「とうちゃん」を誇りに思う。


けど、手帳に書き込んだ退院後の沢山のスケジュール。何一つ出来ないまま、この世から去るなんて、心残りじゃったろう。


「とうちゃん」ボクが、代わりにしてあげる。
一所懸命生きて、「とうちゃん」の代わりをしてあげる。
じゃけん、心配せんといて。そして、ボクをしっかり見守っててや。
ボクが「とうちゃん」とゆっくりお酒を飲み交わすまで、見守っててや。


そして、ボクが、もう一度生まれてくるときは、絶対「とうちゃん」とかあちゃんの子供になるけんな。


ええじゃろう?ボクの「とうちゃん」



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