風立ちぬ 今は秋 帰りたい帰れないあなたの胸に
風立ちぬ 今は秋 今日から私はこころの旅人
聖子ちゃんはおいておいて、3日目は昨日のラジオ話の続きです。
昨日も書いた私のお気に入りのラジオ番組『ジブリ汗まみれ』の中で
今夏、宮崎駿監督の最新作『風立ちぬ』が上映されると発表されていました。
この映画については今回のブログの内容には関係ないのですが、
この映画のポスターに書いてある『風立ちぬ いざ生きめやも』
という言葉が私の耳というかこころにふわっと飛び込んできました。
この言葉は昭和初期に活躍した堀辰雄という作家が同名の小説
『風立ちぬ』の中で引用したフランスの詩人 ポール・ヴァレリーの詩
『海辺の墓地』の中の一節 “Le vent se lève, il faut tenter de vivre” を
堀辰雄が和訳したもので『風が起って来た さあ生きようか・・・いややめようか』
という意味なのだそうです。
この作品は堀辰雄の自伝的恋愛小説で共に当時不治の病とされた結核にかかった
男女がお互いの恋愛感情の高まりとともに沸き立つ生きることへの欲求と
時間の結果とともに近づいてくる死への恐怖が鮮明に描かれている作品である。
以前山口百恵ちゃんと三浦友和さんが主演で映画化もされているそうなので
とにかく有名な作品らしいが私は全く読んだことがありません。
私が感銘を受けたのはこの『風立ちぬ いざ生きめやも』という
自分の中の生きたいという欲求とそんなに言っても限り在るイノチだし
という諦めに似た心境を共存させた和訳です。
これは何も恋愛に限ったことではないでしょう。
なにかことを成そうとした時に、「よっしゃやったるで〜!」という希望と
「でも失敗したら恥ずかしいしやめとこかな〜。」という相反する感情が出て来ます。
というか元来小心者で劣等感の固まりである私は特にこの感覚は身にしみます。
わかりやすく説明するならば車を運転している時に右足でアクセルを踏み込みながら
もう片方の脚でブレーキも一緒に踏んじゃっているような状態です。
操体的に表現するとすれば快と不快が同居しているような状態。
いや待てよ。不快な症状が在るから快感覚がききわけられるのだから
常に快と不快が同居しているわけで、常に快状態であり続けることはあり得ません。
それと同じくして常に不快な状態であり続けることも困難であって
もし仮に不快な状態が永遠に続いている様に感じられるのであれば
自らが感覚を遮断して快感覚をききわけようとしていないだけなのかもしれない。
僕の頭の中が混沌として来ましたので明日の4日目に持ち越したいと思います。
『快たちぬ いざ味わえやも』
2013年4月28日 東京千駄ヶ谷津田ホーにて、春季東京操体フォーラムを開催致します。