東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧

私にとって操体とは・・・〜同志とのつながり〜

私にとって操体とは・・・というテーマをいただいて、早くも最終日になりました。今回のブログでは、僕にとっての操体とは「操体が私にとって、からだを通し、意識の変化をもたらす学問」ではないかと思い、操体を通して沢山の気付きや学びによって自分自身…

私にとって操体とは・・・〜無意識へのアプローチ〜

私にとって操体とは・・・の六日目は、操体法は無意識へのアプローチにも繋がっていると考えられるので紹介したいと思います。 昨日のブログでふれたように、からだが動くということは、無意識の活動からはじまり、遅れて意識が活動し、インパルスが伝達され…

私にとって操体とは・・・〜無意識とからだ〜

私にとって操体とは・・・の五日目の今日は、操体を学ぶにつれて、無意識のついて考えるようになりました。操体を学ぶ前は、第三者の治療従事者がクライアントに対して治療をするということで、治療従事者側の意識について考えることはあっても、クライアン…

私にとって操体とは・・・〜意識の変化〜

四日目の私にとって操体とは・・・のブログは、操体を学ぶことで、意識がかわったので紹介したいと思います。今日もよろしくお願いします。 この世に生を受け今まで皆さんの生活にも、ラッキーと感じることや、最近はツキがないと感じることがありませんか。…

私にとって操体とは・・・〜学びの変化〜

三日目の私にとって操体とは・・・のブログは、操体を学ぶことで、学びにも変化を受けましたので紹介したいと思います。 現代の医学ではEBM(Evidence Based Medicine)を大切に考えています。EBMとは「医療において科学的根拠に基づいて診療方法を選択す…

私にとって操体とは・・・ 〜アプローチ(治療方法)の変化〜

操体と出会い、様々の変化をもたらしましたが、二日目の今日はアプローチ(治療方法)の変化を紹介したいと思います。よろしくお願いします。 操体に出会う前は理学療法士として、リハビリテーション科に来院される方は、医師の診断によって、必ず診断名が付…

私にとって操体とは・・・ 〜操体との出会い〜

今回のブログのテーマは、「私にとって操体とは」というテーマを頂きました。僕は、操体と出会うことで、治療方法・考え方など様々なことが変化してきていることを実感しています。私にとって操体とはと聞かれ、ひとことでいうと、「操体が私にとって、から…

わからないからやる

ポロックについて、もう一つ。 彼の言葉に、 『絵の中にいるとき、私は自分のしていることを意識していない。 「知り合う」ための時間を過ごした後、やっと私は自分のやっていたことをわかるようになるのです。』 がある。 これって、人生そのものじゃないか…

似て非なる

ジャクソン・ポロック展を見て来た。 20世紀のアメリカを代表する抽象画家の回顧展である。素晴らしい! 晩年(といっても、44歳で自動車事故で逝ったのだから、まだ若い)の彼の技法に、ブラック・ポーリングというものがある。 その方法で描かれた作品の中…

師弟

それにしても、橋本先生と三浦先生の師弟関係はすごい。芸術品だと思う。 肉体が無くなった今でも、三浦先生を動かす橋本先生。 法然と親鸞の関係を想い出す。 三浦先生は、たとえ橋本先生が教えた事が全てウソであっても(実際はそんな事は無いが)、「ああ…

目が合った

若い頃、色々な治療の本を読み漁った。 当時は、何人かのあこがれの治療者がいた。 そんなある日、書店で呼び止められた。一冊の本から。 「オイ、君、ちょっとそこの君、お前だよ。」 吸い込まれる様にして書棚に近づき、手にしたのが『生体の歪を正す』だ…

アヴェ・マリア

世に「アヴェ・マリア」と題する曲はいっぱいある。それほど多くの作曲家にとって「アヴェ・マリア」は興味の尽きないテーマである。 その中で、バッハ/グノー作(編)の一曲を取り上げてみたい。 これは19世紀のフランスの作曲家グノーが、バッハの平均律ク…

間に合っていればいい

植物は縦に伸びる、欲が無い。 動物は獲物を追って地を駆けずり回る。 縦軸(聖)と横軸(俗)、人間には両方が必要だ。 少なくとも、社会(娑婆)で生きて行くためには。 縦と横のバランスが取れて球となる。 これで丸く納まる。 この球体の大きさが、人間…

マーラーの音楽

操体は、橋本敬三先生が天才的な嗅覚で「野次馬根性」をもって集められたものを繋げた上で化学変化を起こしたものである。と捉えることが出来ると思う。 マーラーの音楽を聴いていると、時々フッと操体を想う事がある。―「小澤征爾さんと音楽について語る」…

「私にとっての操体〜その7〜」

私は20歳と22歳の時にフランスのパリに行った事がある。 その時はまだ日本国内ですらまともに行った事が無く、またフランス語も挨拶程度しか出来ない私にとっては一世一代のチャレンジであった。では何故パリなのかというと今でこそ笑い話になるが「ヨーロッ…

「私にとっての操体〜その6〜」

私にとって操体とは「10割打者を目指す学問」である。操体の臨床に限らず「マグレ当たり」というのは非常に怖いものである。 運も時には必要だと思うのだが運頼みにしてしまう自分の意識は学びの中に身を置いている者にはあってはならないものである。 私も…

「私にとっての操体〜その5〜」

私にとって操体とは「生涯楽しむ学び」である。つい先日、個人レッスンが終わり着替えて帰ろうとした時に三浦先生に呼び止められた。「さっきやっていた内旋の動きをもう一度やってみなさい」と言われたので 私は先の個人レッスンで行っていた内旋の動きをそ…

「私にとっての操体〜その4〜」

私にとって操体とは「お天道様が見ている」という意識になるものである。 これは「背筋を正す生き方」とも表現出来るのだが、最近私は毎日の生活の中で自分が行っている事が誰かに迷惑を掛けていないかを意識するようにしている。例えば仕事先に行く時に必ず…

「私にとっての操体〜その3〜」

先日私である先輩の中谷さんと埼玉県入間市の健康福祉センターで操体を行ってきた。ここでは毎年人々の健康増進を目的としたお祭りを行うらしく、私達操体の臨床家だけでなく整体師や気功をしている方等、健康に携わる人達がボランティアで集まっていた。私…

「私にとっての操体〜その2〜

今年になってから私の生活のサイクルが少し変わってきた。 週に4回程、操体を学びに来ている方達のアシスタントとして三軒茶屋に通い、夜から朝まではアルバイトをするといったサイクルになり、空いた時間を使ってこのブログを書いたり本を読んだりする生活…

「私にとっての操体〜その1〜

今週から1週間担当する三浦寛幸です。宜しくお願いします。私にとっての操体とは 「カラダを知り、心を知り、自然を知る。 そこから自分を見いだし、己を知り、真理に触れる」 こういった事を学べる学問である。カラダの使い方、心の在り方にしても学校の授…

自分ごとの人生は旅である

この一日の、この時間と瞬間を新しいはじまりの自分と自分自身にかえていくと、それは人生の最後の一瞬であっても新しいはじまりにかえていく。つねにこの命は、自我や、この肉体とは無関係である。多くの人達は、この命を平気で自分の命と言うが、しかし、…

ヒトは常に自然の命に触れている

人間とはネ、自然と分離できないイノチなんだよ。ヒトは常に自然の命に触れている。そして、その命に生かされつづけなければ生きられないんだよ。 自然は空間ごときのもので(存在で)、あたりまえにあるものだから、殆ど気づいていても意に介すこともなく気…

怠けごごろ

自分の人生にテーマがなくなると、人は怠ける。 怠けごごろとは、人間にとって一番辛いことです。「自分には(人の心には)二人の自分がいる。それは、見ている自分を、見られている自分です。自我の思考観念の自分と、常在不適の意識にある自分自身です。で…

真花の花(まことのはな)

その意識の次元に、自分自身を投げ出している人は、自在の自身のなかに生きている。そんな人生の中に真花の花(まことのはな)を咲かせる。 至福だと思う人生は、自在の世界に飛び込んでいく人生だ。それは意識が運んでくる。意識の高みにあって、意志の至高…

人生は他人ごとではなく、自分自身のことである

「意識に生きよう」とすれば、多くの、いつの世の人達は思考観念のなかで生きている。長き時代に人間が身につけた欲性、個の自我に従って生きようとする。刻み込まれる時間に追われ、追いかけ、アッという間に全ての人生を終えていく。人生は他人ごとではな…

絆と平等2

人としての絆を大切に、心の絆をアピールするが、誰一人「意識の絆を大切に・・・」とは言わない。意識の絆とは、「いのちの絆」とう言うことである。 一人一人が、イノチの絆、意識の絆として声をあげてほしい。心の絆もいいが、なにか、軽すぎて、空手形の…

絆と平等

今週から福田君にかわり、三浦が担当します。一週間よろしく。すっかり春めいてきました。朝の日の昇りも早く、寒気もやわらいでいます。絆と平等昨年3月の大震災から一年目を迎えようとしている。今に生きる人達に、絆という言葉がよみがえってきた。一人一…

私にとって操体とは「原始感覚の覚醒です」

操体を学ぶ人にとって重要なキーワードの一つが「原始感覚」です。 この”原始感覚”ですが、本来動物であれば持っているべき基本感覚であり、自然界ではこの感覚が鈍ることイコール”死”を意味します。「視・聴・触・嗅・味覚」の五感に霊的感覚を含めた六感を研ぎ…

私にとって操体とは「想念」

私が操体と出会って最も救われたのが、「息食動想」のやはり「想念」です。 ”想念”と書くと非常に高尚な感じがして書き難いのですが、私にとっての想念とは毎日毎日の想いのことです。どんな想いで仕事をしているのか?どんな想いで日々生活をしているのか?…