東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

入門時を思い出してみる。


おはようございます。
私が初めて操体法臨床家コースの講習に参加したのは、もう8年以上となりますが、初めて三軒茶屋の講習所に行った時のことは、まだ鮮明に覚えています。
当時、私は高速バスで、今ネット上で小さな話題となっているグンマー県から東京へ通っていました。
今、ふっと思い出したのですが、関越道には北緯36度線の標識があります。確か鶴ヶ島インターを過ぎた辺りだったと思うのですが、バスに揺られていると毎回その標識が目に飛び込んできて、その度になぜこの標識が必要なのかと不思議だったのですが、今でも自分の中では謎の一つです。
 ちょっと横道に逸れましたが、電車と違って高速バスの場合は道路状況により、到着時刻が大幅に遅れてしまうこともあります。その日も講習初日だというのに、首都高入り口で事故があり、到着時刻が大幅に遅れることとなってしまいました。
 初日から遅刻で申し訳ないと随分と焦りながらビルに入っていきましたが、一室の鉄扉は開き放たれ、解放されており、中からお香の良い香りが漂ってきて、それまでの不安な気持ちが解き放たれ、迎えてもらえているという安心感に変わり、す〜と中に入っていけた様に感じました。
 内戸を開け「申し訳ないです。遅れました。」と告げると、三浦寛先生は「うむ」と小さく頷き、「聞いてなさい」と手で座るように合図しながら言ってくださいました。まわりを見回してみると、みんなキチンと正座し目を閉じていて、小さなラジカセから聞こえてくる声に耳を傾けているようでした。
 私も正座し目を閉じて耳を傾けていると、ラジカセの音量はそれ程大きくなく距離も随分と離れているにもかかわらず、ひとつひとつの言葉がはっきりと聞き分けられ、それでいて気負いが感じられない、無理に聞き耳を立てなくとも、からだのなかにす〜と入ってきて心地よくヒビイテいる、そんな感じの声が聞こえてきました。声の主は操体法の創始者、橋本敬三先生で当時85歳、昭和56年のNHKラジオ放送に出演した時のものでした。
(放送を収録した内容は「生体の歪みを正す〜橋本敬三論想集」のP452〜P465に収められています)


 この入門時に聞いた橋本先生の声と、そのときの雰囲気というのは、度々思い返されます。とりわけ「頑張る」「欲張る」「威張る」「縛る」方向に偏り、何か気ばかり急いている時などに、ふっとこの時の情景が浮かんできます。そして放送の最後に仰っていた
「気楽ですよ、そういうふうに極楽のなかにいるんだけども、自分で地獄の気持から逃げろと言ってるだけの話なんですよ。神様だか仏様だか知らんけれども、つまりこの宇宙をつくって、そこに生命をつくっておいて下さる方はね、ほんとうに極楽で愉しめよって言われているのにね、自分で突っ走ってアッチぶつかったり、コッチぶつかったりしてんだから、人間なんてそれだけのことなんだ」
という言葉も浮かんできて、気持が落ち着き、安心でき、発想の転換がはかられるということがよくあります。

 この心地よい空間で感じた時の快は、強く記憶に刻まれ、自分で自分を痛めつけてしまっている状況の時などに、ふっと時空を超えて舞い降り、快の方向へと導いてくれるのだと思います。香りや匂いも快の記憶を呼び起こし現在の自分を悦ばしてくれますが、そこに言葉が加わることでより悦びが具象化し、未来につながる活力ともなり、生きる意欲にもつながってくるのではないかと思います。


 また、橋本先生は聞き上手でもあり、辛抱強く相手の話に耳を傾けていることが多かったと聞きます。人間を誰でも同じ神の子として、尊敬の念を持って接していたのだと思います。放送最後の「人間なんてそれだけのことなんだ」という言葉とは矛盾を感じるかもしれませんが、矛盾ではありません。「救い」という面と「報い」という面の両方を持っているのが、現世を生きる人間です。救われていることに意識を向けようともせず、報いの部分のみで不平不満ばかり言う人には、時には遠慮なく怒鳴りつけていたとも聞きます。


友松 誠。



[http://www.tokyo-sotai.com/?p=281:title=東京操体フォーラムin
京都2011]は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

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inMadrid]は、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。