帰省した私の実家は、静岡県静岡市です。
昨年、大きな震度七の地震があった為に駿府城のしっかりした石垣が二カ所も崩れていました。
それを直すのには一億円以上かかるとか・・・いやはや、伝統的な日本技術ってすごいことをしているのですね。
お墓参りに行き、お墓を見てみたら墓石もズレていました。倒れていななかったのは幸いでした。
自然とは怖いものです。だからこそ、人は謙虚でいなくてはならないのでしょう。
謙虚であればこそ、自然の中において生かされているのだと、それを実感できる。
しずおかにあり、家康公のお墓で有名な久能山東照宮、その麓は石垣イチゴで有名です。
そのイチゴ農家の方に、勉強になる突っ込んだお話を聞かせて頂きました。
(奇跡のリンゴ、木村さんの本を読んだことも関係しますが・・・)
農家の方曰く・・・。美味しいイチゴを作るには、
養分の成長=茎と葉っぱ、生殖の成長=実と種、このバランスが大切らしい。
見えている部分は見えていない部分に支えられている。
葉っぱや苺の実は、マイナス2度まで寒さに耐えられるが、
根っこのある土の部分はプラス8度以下にしてしまえばダメらしい。
なので、プランター栽培は難しく生産者には管理できても、
苺の苗をお客さんに売るとすぐに枯らしてしまうのは、温度管理の原因が多いとのこと。
(私もこれを知らず、葉っぱを赤茶色にして枯らせてしまった!ゴメンナサイ)
苺の実は種がある。つまり次世代の為に成長する。
葉や茎は個体であって、当世代の為に成長する。
根はこれらを支えてくれる、まさに根本である。
土で言えば静岡の名産お茶も同様に ”土そのものが味を決める”らしい。
その中身は ”水はけがよいこと”がポイントで、久能山は砂利が多く水はけがよいらしい。
しかしそれもバランスの問題なのである。
その土が良ければ葉っぱも実も成長するが、葉に養分が行き過ぎると、
実の養分から取ってしまい、本体の成長に傾いてしまう。
なので、葉っぱに糖度計を入れてマグネシウムで調節する。
要するに、細かなバランスを感じ取ることが大切なのだ。
これで全てがうまくいくのかと言えば、そうではない。
”実を美しくするには、他の生物の力が必要”であり、
受粉させる方法を風だけで行えば、苺の実がイビツになっていく。
その為に必要不可欠なのが、ミツバチなのだそうである。
ミツバチは、花粉を手足にペタペタと付けて飛び回り、バランス良く受粉してくれるらしく、
出荷用の苺はやはりミツバチに大活躍してもらう。
それで全てうまくいくのかと言えば、ミツバチも大打撃を受けることがある。
それは、ミツバチをエサにするスズメバチの来襲であって、あっという間に全部やられてしまうのだ。
だから勝手にに都合良くなっているのかといえば、やはり管理して気を付ける様にしなくてはならない。
僕はこれを聞かせて頂いた時、操体の臨床のように思えた。
自然の営みとは、なんて巧みなのだろうか・・・。
橋本敬三師の教えにもあるように、救いと報いの関係を考えてみると分かり易い。
操体を学ばせて頂き、自然の法則性を踏まえ、僕も考察してみる。
自然には法則性があり、その法則に従うのも逆らうのも自由。
おのずと報いという一時的な結果で教えてもらえる。
従っていればそれでいいのか、ただ盲従していても理解が伴わなければ応用は利かない。
つまり、自分自身を活かすのも、活かさぬもその法則の中にあり、自在してあるものにどう向かい合うのかだ。
要は、この世の中に幸も不幸もない。
あるのは己の考え方、捉え方のみである。
どう捉えようと自由ではある・・・が、
それを自然のなかに生かされている、イノチの法則性を学び、
それを応用させて頂くことで、
自らを生かし、まわりをも生かしていく。
そこに、有り難みという存在を知る。
そして操体でいう快適感覚とは、
つまり、気持ちの良さは波動で伝わっていくのでしょうか?
それとも・・・。
人が歩く速さとは秒速1メートル、
新幹線は秒速70メートル、
ジェット旅客機は秒速330メートル、
宇宙ロケットは秒速20キロメートル、
光は”真空”ならば秒速30万キロメートル。
そこで僕が最近興味を持っているのは物理学なのです。
実は光は純粋な波ではなく、粒子の性質を持った物質であるとしたのが、ドイツのアインシュタインの光量子学。
それを発展させたのが真空とは、何もないのではなく、そこにエネルギーがあるんだというデンマークの物理学者ボーアの量子力学。
アインシュタインの相対性理論とボーアの量子力学をもって、
「宇宙は物質も空間も時間もない、無の状態から生まれた」と言う理論を、ウクライナの物理学者ビレンケンが説けば、
「無から宇宙が生まれた際、宇宙は虚数の時間を通ってきた」と物理学者ホーキングは説いています。
宇宙の誕生には、インフレーション理論というものがあります。
難しいことはともかく、物理学ではっきりと証明されていることとして、
『真空とは』
〜何もない状態ではなく、電子と陽電子が合体して打ち消しあっている状態である。
つまり、無と有の間を揺らいでいるのだ、としています。
すると、この世の現象とは常に、”無から有を生み出している循環”になります。
そして、”無”とは、仏教において非常に重要なテーマとして挙げられております。
陰陽学においても然り、虚と実が合わさって昇っては降り、陰陽未分化における状態を太極を言いますネ。
見えていることだけで判断しては本質はかえってわからない。
見えないものを知るとは、それを感じとること。
目には見えないもの、それを感じ取ることは、自然現象としての自分を振り返ることになる。
ヒトは小宇宙と言われる所以であり、
宇宙のことを考えたり、目に見えなくともそれを感じ取ることは、自分自身の問題でもある。
そんなふうに感じている今日この頃、アラ”フォー”岡村であった。
岡村郁生