東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

つながる

色川武大の「狂人日記」は思い入れのある小説の一つです。
昔、この小説を最初に読んだ時、怖くなったのを憶えています。
怖くなったというのは、正常な人間の目から見た狂人の世界が異様だった、という意味ではなく「あ、これは俺のことだ」と思った自分がやはり狂っているのではないかという恐怖でした。今思えば、そんなことを考える時点でだいぶオカシイですが(笑)、アホにもそう思わせるということが、この小説がスゴい作品だという証拠かもしれません。

いろいろな場面がこころに残っています。
夜半、暗い部屋の中でふと我に返ると、口の中に今の今まで大きな声で吠えていた感触が残っていることに気が付き、初めて自分が我を忘れている時間があることに気が付く場面、
せっかく生まれてきたんだから自分も誰かの役に立ちたかったと呟く場面、
人の感情というのは詰まるところ孤絶だという台詞、
そして唯一の繋がりだった同居人が戻ってきたのかどうかも分からない彼の感覚の世界を描いた最後の場面。
繋がりを感じ取れずに生きていくというのは本当に哀しいことです。


思うに、人の不幸というものは自分の感覚を信じられなくなることなのかもしれません。
それが自己否定ということの正体ではないでしょうか。
先日操体法定期講習会で三浦先生が「皮膚のことを感じていれば、自己否定は出来ない筈だ」と仰っていました。
操体と出会うまで、自己否定の国から自己否定を広めにやって来たような人間だった自分にとっては、本当に滲みる言葉でした。
世界の広がりというのは自分が感じている以上のものだと思います。そしていのちには今自分が感じている以上のものを感じ取れる力がある。それを邪魔しているのは今自分が感じていることが全てだ、という思い込みだと思います。僕は操体からそういう事を学んでいます。
皮膚には「自分が思っている世界」以上の「命そのものの世界」を感じ取るチャンスが隠されているのかもしれません。
自分が、ではなくからだが感じていることに心を向けてみる。そのことが自分と世界の本当の繋がりを感じて生きられることにつながるのかもしれません。

狂人日記 (講談社文芸文庫)

狂人日記 (講談社文芸文庫)

山本明