“わかる”ってことは、
“かわる”ってこと。
つまり、“変化”することである。
変化することは、破壊することだ。
学問には、必ず、仮説を立てていくことが条件となる。
仮説のない学問は、存在しない。仮説のなかで、理論を展開していく。
その定義、定説のなかで、常識として何十年、何百年と通用していたことであれ、それが、“間違えだった”と実証されれば、根底から変化していく。
つまり、“かわってくる”ということだ。そして、すべて改訂されていくのである。
ぶちこわして(破壊)、あらたな定義に従い、ためらうことなく、進歩、進化していくことである。
恐れていては、一歩も先に進めない。
わかっただけでは、わからないことだらけである。
わかることで、意識がかわる。意識がかわれば、言葉がかわる。
言葉がかわれば、行動がかわる。習慣がかわる。
行動・習慣がかわれば、人格がかわる。人格がかわれば、運命がかわる。
そうした変化のなかで、自分のことを、磨いていくことである。
変化を習慣にしてしまえばいいのだ。
2016年9月[ 新創生期操体法特別臨床講座](http://www.sotai-miura.com/?page_id=1018) 開講!