「想」について大事なことは、操体から教わった、というのがタイトルなんですが、長いので端折りました。
すみません。
「想」について大事なことは、なんて、エラそうですよね。
エラそうですみません。
私のことですごく恐縮なんですが、子供の頃から「勝ち負け」とか「他人と比べる」(まあ、親が姉妹に差別をするのは
体感していましたが、差別した当事者は、否定するものです)ということには、あまり関心がなかったことは、操体に興味をもった理由の1つかもしれません。
ひとつ印象的なことを思い出しました。
私がまだ第二分析を学ぶ前、第一分析(と、D1')をやっていたころの話です。
あるクライアントがやってきて、福島で操体をうけていた、というのです。
その時の話を聞くと
・その方は「どちらが楽か辛いか聞かれてもわからない」(もしかすると、どちらがきもちいいかと聞かれていたのかもしれません)
とのことで、先生が膝を左右に倒してくれて「こっちはよく倒れるからお利口さん。こっちはよく倒れないからおバカさん」だと言ったのだそうです
当時の私はなぜか「倒れない方がおバカさん」と、曲がりなりにも操体指導者が言ったことに憤慨しました(笑)。
似たような事例で、被験者を仰臥位にして、膝を腹部に引き込んで股関節の動きを見て、
「こっちの股関節が悪い」と言った治療家の言葉を聞いた時も、イラッとしました(笑)
あ、今は多少成長したので、イラッとはしません(笑)
つまり、可動域が少ない、イコール「悪い」のではない、ということが、操体を勉強していて、なんとなく体感していたのだと思います。