瀧澤 一寛(たきさわ かずひろ)
新たな理論において、「立ち方」の基準もまた進化している。 基準が変われば、「立つ」ということもまた、「ふれる」ことの一つだと感じられてくる。 わたしたちを生かしてくれている環境があり、その環境の中で調和に向かう「からだ」がある。 その環境の中…
触診をとおして、「からだ」と本人の関係性が変わってきている、と感じられることがある。 「からだ」にふれ、そこから伝わってくることが、ご本人やご家族が語ってくれる意識の変化と重なっている、と感じられることがある。 周りから指摘されて、はじめて…
操体の臨床で感じていること。 皮膚に触れながら、様々な「からだ」の変化を感じとっていく。 それは、触れている「からだ」の変化を感じとっているだけではなく、自身の「からだ」の変化も感じとっているということ。 診させていただいている「からだ」に触…
「からだ」に「ふれる」ことは、こちらからのはたらきかけだけではなく、ふれている「からだ」のほうからのはたらきかけもある。「ふれる」ことは、常に情報を発信している「からだ」が在ることに気づく、ということでもある。先に「からだからのメッセージ…
岡村さん、一週間の投稿ありがとうございます。 バトンを受け取った今週担当の瀧澤です。 引き続き、テーマは「ふれる」で一週間よろしくお願い致します。 「ふれる」というテーマをいただいたとき、まずふっと浮かんできたこと。毎日色んな「もの」や「こと…
今日が最終日となります。 今回の「何を学んでいるのか」というテーマをいただいて今感じていること。 「何を学んでいるのか」と自分に問い続け、それに応え続けるということが、いかに大切かということです。 それによって、自分が今取り組む課題やテーマも…
自分自身が開かれた状態になっているとき、特に意識していなくても、ふっと「からだ」から感じられることがあります。 「からだ」の学習として、呼吸やからだの動きをとおしているわけではないのに、おのずとそういう呼吸になっていたり、からだの動きとして…
「からだ」に対して素直になることは、自分に対しても素直になること。 そのように感じられてくると、自分を生かしてくれている「からだ」への感謝だけではなく、今の自分にとって必要なことにも意識が向いてきます。 呼吸やからだの動きから感じとれる感覚…
「感じとろう」としているときは、「からだ」と向き合っていても、その主体は「自分」。 届いてくる「からだからのメッセージ」は限られたものになってしまう、というよりも、ほんとうは届いているのに、それに気づけない状態になってしまいます。 師の指導…
学びにおける「素直さ」とはなんでしょうか。 「何を学んでいるのか」という問いと向き合いながら感じていること。 呼吸やからだの動きのとおし方など、教えて頂いたことを自分の色をつけずにそのままやってみる。 やってみたことの中で感じられたことを一つ…
「何を学んでいるのか」と自分に問いかける。 それは、それを学ぶことで何を成していくのか、という問いかけに繋がっいく。 操体を学ぶにあたっては、操体を感じとっていくこと。 ただ、それだけではまだぼんやりで、生かす方向までは見えてこない。 感じと…
岡村実行委員ありがとうございます。 バトンを受け取った今週担当の瀧澤です。 一週間よろしくお願い致します。 今回のテーマは「何を学んでいるのか」です。 操体・操体法を学び続ける中、「何を学んでいるのか」という問いに対して今感じていること。 師に…
学べば学ぶほど軽くなっていく。 ほんとうに必要なものはもう満ちて在ることに気づいていけるから。 自ずとそうなっていることに感謝できるから。 「からだ」が操体法をとおして感じさせてくれる。 「わたし」が操体法をとおして感じとっているだけでなく、 …
はじめに「からだ」が在る、ということを感じとっていくこと。 それは何も特別なことじゃないし、限られた人の話でもない。 みんな「からだ」と共に在るんだから、 ほんとうはみんなにとっても「からだ」ごと。 健康でいたい、とみんなが想う。 元気でいたい…
少し話は変わって、 「自分」にとって「はじめて」のことを学習するときって、 「自分」にとっては「はじめて」ですよね。 でも、「からだ」側の目線でみてみたら? これまで操体を学んできて、これからの操体を学んでいておもうこと。 操体法に限らず、何か…
(昨日のつづき) 怪我や症状に伴った痛みがどれだけ変化するか。 当時、鍼灸マッサージ師として、駆け出しながらも向き合っていたこと。 「痛みの変化」を物差しとして、臨床効果を判断している自分がいました。 そんな自分にとって、 「痛みは変わっていな…
わたしたちにもそれぞれ「はじめて」がありました。 はじめて操体・操体法にふれた瞬間。 一つのエピソードを紹介します。 操体に興味をもち、 はじめて「からだ」を、三浦先生に診ていただいた日。 密かに期待していたのは、 痛めていた右足の小趾はどんな…
今回のブログのテーマは「はじめての操体法」です。 趣旨とは少し逸れてしまうかもしれませんが、 今わたしたちも「はじめての操体法」と向き合っています。 これまで操体から学んできたこと。 これまで操体法を実践してきたこと。 その中で「からだ」と向き…
岡村さん、一週間のメッセージに感謝致します。 「操体法はシンプルです」という想い。 そう感じ合えるのは、 「からだ」からの問いかけに応えていくから。 今週は久慈から「からだ」と共に瀧澤が担当致します。 一週間のお付き合い、よろしくお願い致します…
「からだ」からのメッセージを感じ取ることは 自然法則を感じ取ることです それは難しいことではありません 「からだ」の学習をとおして ゆっくりと味わっていけばいいのです ゆっくり味わうというプロセスもまた 「からだ」の学習なのです 「からだのうごき…
「からだのうごき」の学習と不可分なのが 「息」の学習 そもそも、目に見えないだけで 一日に途方もない量の空気が 空間と「からだ」を循環しつづけている 目に見えないから意識にのぼらない そんなことはないのです 「からだ」を介してもっとも繊細に 感じ…
一日一日ほんの少しの時間でも 「からだ」と向き合う ずっとつづけていると 時間の長さではなく そのとき どんなことを「からだ」から感じ取って どんな意識になっているかということが 大事なんだと「からだ」は気づかせてくれる 時間ではなく「間(ま)」 …
「からだのうごき」の学習は 目に見えないことを感じ取っていく学習 「からだのうごき」の学習をとおし 普段意識にのぼらないようなところが 感じ取れるようになってくる たとえば背中 たとえば足底 たとえば目尻 たとえばひかがみ たとえば内臓 そして皮膚 …
「からだのうごき」の学習は 新たに「うごき」を身につけるものではなく こびりついた本人の思考意識を そぎ落としていく学習 お手本を真似することが目的ではなく 実際にやってみてどう感じ取っていくか ということです 「わたしたち」の動きが消えて 「か…
日毎の「からだ」との対話 随分と繊細になっていく「からだ」からのメッセージ いたずらに増幅させることもせず 素直にそのままいただく そのメッセージにどんな意味があるのか 「からだ」に応えていく日々がある からだが感覚意識を育んでくれているから 「…
目には見えないところに宿っている まるで「からだ」のまんだらのよう 岡村さん、ありがとうございました。 今日から担当の瀧澤です。 よろしくお願い致します。 「からだ」に宿る生命力を 色をつけずにそのままいただく 体調の波はあってもいい 変化として…
「からだ」は、 人を選ばないし、急かさない。 私(人間)を支配しないし、干渉しない。 いつでも、それとして、そこにあって、 だれがやってもそうなるってことを教えてくれる。 計測できない「間」でゆっくり「からだ」と対話できる。 目に見えるのがおも…
共に生きている生命を感じられるから、 生かされている環境の空間を感じられるから、 からだは「からだ」、といただける。 巻き込みながら、巻き込まれている「からだ」。 「からだ」からのメッセージには、 その「からだ」がききわけていること(もと)も入…
「感覚=表現」であらわれてくる「からだ」は、 うらとおもてが重なる「うつわ」。 目に見えるところも、 目には見えないところも、 それぞれに適って、立ち上がる。 吸気と共に立ち上がる。 意識関与だけだと、 目に見える範囲が基準になるけど、 (からだ…
手順を追って、正確に操っても、 手本を真似て、上手に操っても、 「感覚=表現」にはならない。 「感覚=表現」は 意識関与とは、もっとも遠いところにあるから。 習慣的に身につけた無意識と、 「からだ」の無意識は違うってコトも、 「感覚=表現」であら…