東京操体フォーラム 実行委員ブログ

操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

歳晩の候より…3

おはようございます。

 

この時期、これから大掃除という人も多いのではないかと思います。

私も、まだこれからですが、何日か前に洗濯機の調子が悪くなり、取扱説明書を見ると排水口に問題があったようで、フィルターを掃除し、ホースも痛んでいたので交換したという事はありました。

 

洗濯機であれば人間の発案で作られた物であり、どうすれば調子が悪くなるかが、あらかじめ解っています。

どこに問題があるかというエラー表示も示してくれ、部品交換にもすぐに対応できるようになっていて、説明書どおりに修理すれば、大概は直るようにしてくれています。

 

しかし、人のからだは人間が作った人工物ではありません。

からだの調子が悪くなった時に、人工物を修理するような発想で、からだに対応しようとするから、おかしくなる。

勿論、救急の切羽詰まった状況の時は、そうするしかない場合もあります。
ですが、それはあくまで救急の場合です。

常に付きまとう不快症状、不快感覚には、本人に生活(生命活動)の間違いに気づいてほしい、このまま間違いを正さなければ壊れてしまうぞ、といったサインや警告も含まれているのです。

そうした、からだの要求を無視した対応をしていれば、診る側の理屈はとおっても、からだの方は不調を抱えたままというケースは多いと思います。

 

人工物に対する考え方を、そのまま生身の、自律しているからだに当て嵌めようとしても無理がある。
元々次元が違うという事なのです。

昔から人体は小宇宙に例えられてきましたが、それだけ人智を超えているのです。

「からだのことは、からだにきけ」

これは、昔から操体で言われてきた言葉ですが、真摯にからだから感覚をとおして学んでいく学問があって良いし、なければならないのです。
また、人体の事がアカデミック的にも解明されてくる程、この学問の真の価値も見い出されてくると思うのです。