東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

寺本 雅一(てらもと まさかず)

ゆだねる、を学ぶ

自分が思い描くイメージ、ヴィジョン。 そういったものを先行させるのとはまた違って、 例えば、からだの無意識にゆだねる、というところから自らの振る舞いを描いていく。 これも最近になって、また操体から教えていただいていることのひとつです。 人間に…

アタマにも、休んでもらって

操体は「からだ」の要求、「からだ」の悦ぶことってどんなこと? というのを大切な着眼点として扱い、進化と深化を続けてきました。 そんなからだの状態のとき、本人の「思考」や「頭」の活動からみると、 バランスとしては程よく休まっている状態なのではな…

こんなことも、語り合える

前日の記事に引き続き、私事から始まりますが 昔はどうも同世代の人と話が合わず、 年上の人と話をするのが好きでした。 いま、思えば、自分が興味をいだいていることについて、 私の言葉が追い付いていなくても、受け止めて、ちゃんと返してくれる。 それが…

からだの、もう少しそばに

このブログの場で何度か振り返ってきたことではありますが、私が操体(操体法)に興味を抱いたのは、それまで20数年生きてきて、いまいち自分の体に対して実感が持てていない、よくわかっていないという漠然とした想いがあったからでした。 20歳代を後半…

ゆっくり、を味わいたい人に

動き(うごき)や感覚について、からだを介して学問している操体、そして実践のスガタとしての操体法。 それ故に、からだを通して「ゆっくり」という時空を体験していただきます。 操体でいうところのこの「ゆっくり」は、想像しているスピード感とは、 ちょ…

言葉になっていない世界に、こんにちは

あなたに操体・操体法をお薦めする理由の其の1

わたしのセルフケア7

からだの治せる治癒力が大いに、のびのびと振舞ってもらえるように、 そのきっかけになることはどんなことだろうか。 日常のなかの当たり前のこと、そんな焦点の当て方で、今回のブログと向き合ってきましたが、実はとても重要な要素を最後に残していました…

わたしのセルフケア6

わたしのセルフケアを考えるときに、「わたし」の範囲を拡げてみるというのも面白いと思って実践しています。 例えば、わたしのこころとからだから一歩離れて、「身の回り」に目を向けて掃除をする。 掃除の効用について説かれている方は多々いらっしゃいま…

わたしのセルフケア5

昨日のブログに書いたような「セルフキュア」を大切に思うようになると、 俄然興味が沸いてくるのが「睡眠」のことです。 日常生活のなかで、わたしたちが「からだの治せる治癒力」と接しているタイミングは この睡眠の時間なのではないでしょうか。睡眠はセ…

わたしのセルフケア4

いわゆる「セルフケア」というと、「わたし」がわたしのこころとからだについて「ケア」できることを指しているような印象を受けます。 今回のテーマの中でも、語られていること、またこれからも語られることだと思いますが、「操体」では、その背景に「から…

わたしのセルフケア3

昨日に引き続き、とある日の「食」に関する、私の「しないケア」エピソードについて。 先日のブログ「セルフケアだけど6」で実行委員の瀧澤氏も似たような投稿をしてくれているので興味深かったのですが、 blog.tokyo-sotai.com 私もお昼休みなど、よく「何…

わたしのセルフケア2

「セルフケア」というと、どんなことをすればいいんだろう、といったことを連想しますが、一呼吸おいて「からだが悦ぶことってどんなことだろうか」と想いを馳せてみると、寧ろ「しないこと」がケアになってるんじゃないかとハッとさせられることがあります…

わたしのセルフケア

おはようございます。 瀧澤さん一週間のブログ担当ありがとうございました。 本日から一週間、テーマ「私のセルフケア」を引きついで寺本が担当致します。 どうぞ、よろしくお願い致します。 今回の主題「セルフケア」という言葉は、身体(からだ)と心(こ…

私のズッコケ操体クロニクル~転んでもタダでは起きるな~

「ズッコケクロニクル」として私の操体のいままでを振り返ってきました。 こうして思い出してみると、私にとってのズッコケ経験は 大切なことに気付かせてくれる、質的変化のきっかけになっていたことを感じます。 操体になくてはならないキーワード「いいか…

私のズッコケ操体クロニクル~間の抜けた日常に~

ズッコケクロニクルというか、いまも油断するとズッコケていることは多々あります。 私がつまずきやすいのは「間」が抜けることです。 操体の臨床では、運動分析から感覚分析、そして、皮膚に至るまで (そして、その先まで)様々なアプローチをもって から…

私のズッコケ操体クロニクル~〇〇の言葉に一喜一憂~

操体を学び始めて数年ほどたった頃から、少しずつですが講習以外の場でもからだに触れる機会が増えていきました。 チャンスが増えるごとに、臨床におけるリアルなことに直面するようにもなりました。 最初、一番動揺したのは、被験者の方の言葉でした。 感受…

私のズッコケ操体クロニクル~ついつい余計なお節介 実技編~

座学で教えていただいたことを興味をもった友人知人に熱弁するとともに、 実技を習うようになってからは、学んだことを試したくなりました。 最初は家族から始まり、自分の周りでからだの不調を訴える人がいれば、 隙あらばからだに触れる機会としてアタック…

私のズッコケ操体クロニクル~鵜呑み全開の時期~

得体のしれない「操体」の門を叩き、 前知識ゼロで臨んだ操体法東京研究会の講習を体験し それまで味わったことのない、「学ぶ」という空間そのもののように感じた当時の私。 思えば昔から、何かをストイックに習うとか 師事するということに憧れを感じてい…

私のズッコケ操体クロニクル~操体を知り、門を叩くまで~

前日のブログでからだと私の関係性というものを振り返ってみましたが、 運動神経に対しての苦手意識から、自分のからだのことには興味はあるけれども どうやって近づけばいいかわからないという年月を過ごしてきたように思います。 そんなからだとの関係性と…

私のズッコケ操体クロニクル~操体以前のからだと私~

瀧澤さん一週間のズッコケクロニクルありがとうございました。 本日からは寺本が担当します。 テーマは引き続き、「私のズッコケ操体クロニクル」です。 宜しくお願い致します。 思い返してみれば、操体ビフォアー時代は からだを使うことに関して、とことん…

便利な世の中

「便利な世の中」とはどんな世の中だろうか。 ここ数日そんなことを考えている。 今まで自分でやっていたことを、別の存在に変わってやってもらえる。 それは昔からそのように分業化され、専門家されてきたことではあるが、 その「存在」の比重がヒトから機…

「すること」と「しないこと」のバランス

からだという現象物体には、その構造(つくり)を動かすにあたっての原理原則がある。その法則を身体運動の法則と呼び、この理を自分事として、また自身のからだを通して学習していく。その時に足掛かりになるのが、操体でいうところの「般若身経」である。 …

雑巾の絞り方

からだの使い方を指導する上で、「手は小指、足は親指」という考え方がある。 これは橋本敬三先生の時代の般若身経の根幹にあった基本原則で、創始者の言葉をそのまま引用させてもらえば、「運動の根本は体の中心(腰)に重心を安定させてやることである。そ…

手入れをして、感じられること

以前から不思議に思っていることがある。 この場をお借りしても度々言葉にしてみていることでもあるが、例えば身近なもの、何でもいい。 その対象に対して、「手をかける(手間をかける)」ということをしたとする。 すると、その前と後とで、感じられるもの…

型として身につけなおす

「般若身経」は操体の臨床家、または実践者にとってみると、一種の「型」のようなものでもある。 シンプルかつ効果的な内容であるがゆえに、身につけるより早く、学んでいる事を「応用」してみたくなることも多いけれど、「般若身経」を「型」として学習して…

宿題

今はもう懐かしささえ感じられるわら半紙1枚に「般若身経」とタイトルのついた図入りの資料を私も1枚持っている。 橋本敬三先生は当時自身の学問してきたことのエキスをこのビラ1枚に集約させ、配布していたのだと聞く。そこには、身体運動のことのみなら…

「からだ」が「動く」にあたっての取扱説明書

おはようございます。 瀧澤さん一週間のメッセージありがとうございました。 本日からバトンを受け取って寺本が担当します。 今期ブログのテーマは「般若身経を解説」です。 宜しくお願い致します。 操体に興味のある方や橋本敬三先生の著作に触れたことのあ…

目に見えないものに、目にみえないもので、

今回のブログは今日で最終日となります。 「この時代の暮らし方・私の免疫力アップ法」をテーマに、自然と自分の中で興味の対象となっていた他者のこと、それを踏まえたときのいまの自分自身のことについて、書いてきました。 最後は、ちょうどこういったこ…

交流して、共存して、

他者とのつながりのなかで何かをするというのは、まだ試行錯誤の最中だけれど、 「ゆだねる」ことと、「理解しようとすること」は大切なように思っている。 ゆだねるというのは、相手をコントロールしようとしないことを踏まえてのことだと感じている。 後者…

間に合わなくなって、つながって

昨日の「結界」云々の続きになるけれど、 マスクをつけたり、他者との距離感を気にかけてみたり、 自己と他者との間の連絡はたしかに物理的にも精神的にも 希薄になりやすい状況の中にいるように想う。 望んでいなくても、みんな半ば自動的にそういう生活に…