瀧澤 一寛(たきさわ かずひろ)
岡村さん 一週間のブログ投稿ありがとうございました。 今日から一週間、「環境」というテーマで繋いでいく瀧澤です。 よろしくお願い致します。 からだからいただいて、感じられることがあります。 「生かす力の環境」を身近に感じられるようになってきてい…
色々なことに手を染めるよりも、師について、確かなモノを身につけていきたい。 そんな想いから、操体とのご縁をいただきました。 初めから学びのゴールを設定していたわけではなく。 こうなりたいという明確なビジョンがあったわけでもなく。 ただ、臨床に…
「からだ」からいただくという姿勢によって、臨床も変わってくる。 この頃はそんなことも、確かな実感として「からだ」からいただいています。 操体をとおして学んできた、臨床では「からだ」の要求を満たしていく、ということ。 開業してからこれまで、ほん…
「からだ」そのものにインプットされた記憶は、いつでも鮮明によみがえる。 師の臨床を初めて受けた時のこと。 師は何も聞かなかった。 「からだ」にふれただけだった。 「からだ」が主語になる空間になっていた。 何も知らない「私」は、それを言い表す「こ…
習い始めの、操体法や般若身経(からだの使い方、動かし方)を身に付けていく過程。 身に付くのに、理解するのに時間はかかっても、その過程は「私」を満たしてくれました。 「からだ」をとおして、「私」は修業の只中にいる、という実感。 この実感が、以前…
「からだ」が主語になっていなかった、と今気づかされる。 不思議なもので、「からだ」が消えると「今」も消えてしまう。 「今」が消えると、「ほんとう」の感謝ができなくなってしまう。 本当のきもちといっても、その奥にある「ほんとう」にふれていないと…
「からだ」が主語になっているか。 操体における「修業」と捉えることもできます。 これまでも「からだの学習」をとおして、「からだの要求」にふれてきました。 自分がどうしたいかの前に、「からだ」はどうしたいのか。 ちゃんと「からだ」にききわけられ…
岡村実行委員一週間のブログ投稿ありがとうございました。 今日から担当の瀧澤です。 引き続きテーマは「修業」でつないでまいります。よろしくお願い致します。 「一生修業なんですね」 何年か前に、ご自身でも色々と勉強されている方から言われたことがあ…
その日の空を見上げること。 空気を介して、皮膚で感じられる変化を味わうこと。 太陽の光や雲、風や水、ときには虹など、とても惹かれる自然現象との出会いがある。 なぜそのような現象が起こるのだろうかという理由は、「からだ」の植物的感覚をとおして触…
人間として思考し、判断していくこともできる。 動物のように、好ましいものに近づいて嫌なものから逃げることもできる。 植物のように、動けなくても変化をありのままに受け入れることもできる。 「からだ」の中にあるものは、それぞれに機能していてどれも…
頭で理解したり、きもちで共感したりすることもできる。 その前に、「からだ」で共振、共鳴することもできる。 思考や感性でキャッチする前に、原始感覚で振動をキャッチすること。 先日の岡村実行委員のブログの中で紹介されていた、「なぜ植物は緑色をして…
植物の生命力には、見た目の美しさとは裏腹に、ときにゾッとするものを感じることがあります。 そんなときは、人間のスケールを超えたものに触れている、と感じている瞬間。 住んでいる処の勝手口の裏に、ずっと植わっていた蕗(ふき)がありました。 管理人…
散歩の度に目にしていたスギナの水滴のつき方は日毎に変化していました。 通常水気孔から水蒸気として排出される水分は、大気の温度や湿度の変化に対応して、気体から液体へと状態を変え、その大きさやつき方もその時々で様変わりする。 朝を迎えたときに見…
つい先日、久慈でも雪が降りました。 散歩道の小脇も、朝には霜が降りて白くなりだしています。 季節の移ろいを感じながら、春頃のことを思い出します。 朝の日光を浴びてキラキラ光る足下のスギナに、よく目がいっていたこと。 キラキラ光っていたのは、ス…
岡村実行委員、一週間のブログ投稿ありがとうございました。 今週担当のMr.植物こと瀧澤です。テーマは引き続き「植物」で想いを繋いでまいります。 一週間よろしくお願い致します。 「からだ」が「からだの学習」をしてくれている。 そんな現在進行形の操体…
いただいたことを、次につないでいく。 「からだ」をとおしていただいていることは、 ギブの連鎖になっているんだなあ、と感じています。 伝えようとして伝わっていくこともあるし、 伝えようとしなくても伝わっていくこともある。 受け取る側の感性で、どん…
自然の中に美しいと感じられることがあります。 空を見上げることも、日光を浴びることも、風に吹かれることも、そうです。 お腹が膨れるわけではないけれど、美しいと感じられることもわたくしのたべものです。 「そのように感じられる」感性の基層に、から…
自分の思惑どころか、快や不快が生まれる前の ただそのように感じられていることを愉しみたい。 たまに、ひとりで海や森に行くことがあります。 少し寂しくなった砂浜で、靴下と靴を脱ぎ、裸足で大地と直に接触してみる。 何だか、動物的な自分が現れてくる…
毎朝、コーヒー屋に行き、コーヒーを淹れていただく。 「好みの味があったら言ってくださいね」と声をかけていただくけれど、 いつも豆の種類はお任せにしている。 酸味が効いていたり、苦みが効いていたり、 日によって変わる風味はどれも美味しく感じられ…
文学や詩から影響を受ける、ということはありますがもっと身近に、一緒に学んでいる同志からの影響は特に強く受けます。ここ最近はわたくしの中でその傾向が増してきているように感じます。2021年秋季東京操体フォーラムまで2ヶ月を切りました。この時期にな…
ことば、というものにどうしようもなく惹かれるときがあります。ことばのひびきやそこから湧出するイメージ、誰が発したのか、どんな想いがのっているのか。惹かれる理由は色々あるのでしょうけれども、その中には、あたまの理解が追いつかないことばという…
香さんブログ投稿ありがとうございました。今日から担当の瀧澤です。テーマは引き続き「アートについて」です。一週間よろしくお願いいたします。わたくしはそこから何かをいただいている。何かをいただいたことで、スイッチが入る。スイッチが入ることで、…
力が伝わっていくこと。そこにはたらく力が邪魔されることなく伝わっていくこと。無駄なエネルギーを使わずに、その環境に見合った力が伝わって表現されること。そして、その影響を享受しているわたくしがいるということ。操体の学問をとおして頂いている「…
鉢に植わった二年目のプチトマトはまだ青い実をつけながら、日毎に生長しています。植物の上にうえに伸びていこうとする生命力は、仮に言葉を発することができるのならば、どんなふうに語りかけてくれるのでしょうか。わたくし自身の中にも縦を感じる感覚が…
どちらの足から踏み出そうか。そんなことを考えずとも、日々繰り返される動き。たったそれだけの動きの中に、雄弁に語りかけてくれるからだのひびきがあります。それは、からだが何かに導かれることで自然とうごきが生じるという感覚にもつながってくる。自…
できる限り左右差をなくすことでパフォーマンスを上げる「運動」成果を得る前に感じられていた素直な感覚とそこから生まれる感情。違和感を違和感として素直に受け取り、不自然なことは不自然と納得できずにいた頃のはなし。小学校低学年の頃に父親が買って…
言葉以前の感覚を受け取り、誰かに伝えるために言葉にしていくとき、言語化するために左脳は回転し出す。言語を習得する以前の幼児は、まず初めに右脳が活発に働き、言語の習得と共に左脳も働き出す。胎児の頃の記憶は右脳に納められている。そのような可能…
操体の学問の中で「ひだり」というものを感覚していると、次第に「からだ」というものの範囲はどこからどこまでをいうのだろうかと考えずにはいられません。あえてひらがなで「からだ」と表記する意味、あえて「ひだり」とひらがなで表記する意味がここにあ…
香さん一週間ありがとうございます。今日から担当の瀧澤です。一週間よろしくお願いします。テーマは引き続き「ひだり」です。操体という学問をとおして頂いている「ひだり」とは感覚そのものです。それはからだがききわけさせてくれる感覚そのものです。繊…
からだが悦ぶということはどういうことだろうか。からだが悦ぶ感覚というのはどういう感覚なのだろうか。先日臨床中に相手のからだに対して一切アプローチをしていない時間がありました。時間すらも止まっているような感覚でした。ただただ呼吸をとおしてい…