東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

2019-07-01から1ヶ月間の記事一覧

鍼灸学校

理学療法士として勤務しながら、夜学で鍼灸学校に通った。 そこには、18才~60才の老若男女達が居て、毎夜が異文化交流会でとても楽しかった。人生で一番面白く充実した学生時代だった。講師陣も個性が強く、今では望んでも得られない懐の深さと多様性が…

出逢い

理学療法学科に入学し、勉強を始めると、色々と疑問が浮んで来た。 2年生の時の夏に、評価実習というものがあり、実習先の病院で最初の「操体法」との出逢いがあった。 実習生の私を担当して下さったスーパーバイザーのU先生の粋な計らいで、リハドクターD…

前夜

文系の大学に進学した私は、趣味で東洋医学、民間療法、ボディーワーク、身体論などの本を読んでいた。 やがて、それが高じて、こちらの方を本業にした方が自分には合っているのではないかと思う様になった。 さて、これから医学を勉強するにはどうしたら良…

プロローグ

悩み多き少年時代だった。 兼業農家に育った私は、将来、農業の方は時勢により継いでいけないと思い、それに代わる何かをボンヤリと模索していた。 そんな中で、徐々に東洋医学に惹かれていった。 東洋には、天文・地理・土木・農業・医学・占術・・・それら…

「私の操体史 ~人生学を学ぶ~」

一週間、自身の操体の歴史を辿ってきましたが、最近学びの中で感じていることは 操体の学びは臨床学だけではなく、「人生学」にも繋がっているということです。 10年以上の学びは常に「わからないこと」と向き合う日々でしたが、わからないことをわかるよ…

「私の操体史 ~先生と呼べる人達との出会い~」

私の操体の歴史を辿っていく中で自身を変えてくれた3人の先生がいます。 その先生達は操体の学びを豊かにする様々な情報を提供してくれましたが、それ以上に操体との向き合い方を示してくださいました。 一人の先生は私に学びの愉しさを、もう一人の先生は…

「私の操体史 ~同志達との出会い~」

毎日同じことのサイクルを嫌い「日々冒険をするような人生」にしたいという願望を昔から持っていました。 社会人になってからは色々な人達と出会い、刺激を受けながら成長していけるような職場を求め販売の仕事をしてきましたが、そんな私だからこそ操体の学…

「私の操体史 ~からだとの信頼関係~」

自身の感覚と向き合う中で当初どうしても理解出来なかったことがあります。 それは「からだに聞き分ける」ことです。 からだが要求していることと自分の要求との識別し、理解していくことが私自身の操体を学び続けていくことにおいて重要なことでした。 現在…

「私の操体史 ~感覚との信頼関係~」

大きな決意と覚悟を持ち、操体の学びの門を叩いたものの、いったい何から身につければ良いのかわからず自分の学びの方向性を手探りで探す日々が続いていました。 そんな私に師はまず ・からだの歪みを正していくこと ・身の周りの人や物に意識を行き届かせる…

「私の操体史 ~父、そして師との信頼関係~」

「自分のやりたいことをしなさい」という父の言葉から私は感じるがままに自分のやりたいことをしてきました。 自分の尊敬していた人達に囲まれながら好きなものを売る仕事に身を置き、それなりに自分の生き方に満足する生活の中で心の奥底では自分のやってい…

「私の操体史 ~子供の頃から出会っていた操体~」

三浦先生、一週間ありがとうございました。 今週から一週間三浦寛幸が担当致します。 よろしくお願い致します。 テーマは引き続き「私の操体歴」になりますが、私と操体との出会いは他の実行委員の方達とは少し異なっているように思います。 師でもあり私の…

七日目

「楽と快はちがう」どう違うのか、そして動診と操法にどう快の問いかけを生かしていくのか、そして「感覚を重視しろ」と話されたこと、これは運動分析から感覚分析への転換を求めているのであった。そのことを書き示したのが、この処女作である。 しかし、未…

六日目

それだけ予約が入っていたということは診立ても、臨床の腕も上がっていたのであろう。 しかし、自分の時間は極端にそがれていた。 まさに酸素不足のコイだ。 では脳ミソが腐らぬ手段はと考える。そうか、自分が学んだことを本にすればいい。 操体に関する作…

五日目

私は当初、臨床の世界で生きていくとばかりに思っていた。 しかし、橋本先生の哲学を学んでいくうちに、何かそれは違うなと思いはじめる。私が30代の半ば、仙台の先生から電話がかかってきた。 佐助*、患者ばかり診ていると「脳ミソが腐ってしまうぞ」と灸…

四日目

今、そして、操体史が大きな変動期を迎えている。 それを仕掛けた張本人は、私である。 どんなにすばらしいことであっても、時代の流れとともに、弊害がうまれてくるもので、師の後につづいて学ぶものは、必ず「見直し」が必要である。 私は再度、弊害を取り…

三日目

今、学びの中で思うことは、当時の私は、次々に変化し生まれかわっていく操体法の連続史のど真ん中いたということである。 ハイ、わかりました。と言ったものの、雲をつかむようで、何のことかわかるはずがなかったのである。 そのヒビキのある先生の言葉が…

二日目

入門し3年、4年と月日が流れる。 先生の診療が終わり、先生と火鉢を囲み、お茶を頂く。 「こんな難しいことに首を突っ込んでよく学んだな。しかし一生愉しめるぞ」 と言われる。 患者には「簡単な」ことと言い、私達には「こんな難しいこと」という。 学問…

私の操体史(初日)

今日から三浦寛の担当です。よろしくお願いいたします。 「私の操体史」が今回のブログのテーマになっている。 私の操体史は、橋本敬三先生の操体史に重なるもので、その史観は私の生命観で有り、人生観である。 私が先生の内弟子に迎え入れていただいたのは…

私の操体史(最終日)

私がこれに気がついたのは、自分自身が「いわゆるスポーツ」が嫌いだったというのもあります。(ボールを使った集団競技が苦手です笑)。 からだを動かすのは嫌いではないのですが、ヨガとか太極拳とか、「自分で練る」のが好きなのです。 また、これも何か…

私の操体史(六日目)

また、私が痛感したのは「操体のすごさ」でした。 第一分析と第二分析、第三分析は、まるっきり違う。 言葉だけで「快方に動かして瞬間的に脱力」と言っているのは「楽な方」であって、決して快方向ではなく、快方向は二者択一ではない、色々なことを含めて…

私の操体史(五日目)

ちなみに、全国大会当日、1999年10月10日、「哲学する操体 快からのメッセージ」が出版されました。 私は早速会場で買い求め、会場の端っこ(何故か端っこだった)に座っていた三浦先生を目ざとく見つけ、サインしてもらったのを覚えています。 快からのメッ…

私の操体史(四日目)

そんな時、1999年、全国操体バランス運動研究会が東京で開催され、その前日祭に、ご縁があって、巻上公一さんのご紹介で出席することになりました(巻上さんは三浦先生の受講生で、フォーラム相談役です)。 これも今考えると凄い話ですが、何で当時私が巻上…

私の操体史(三日目)

話は戻ります。 なお、私が行っていた学校は当時秋葉原にあったのですが、行く途中に「操体法」という黄色い大きな看板がありました。 「津田温古堂」と書いてありました。 そこまで見れば、一度受けて見ようとか思ってもいいはずだったのですが、何故かそう…

私の操体史(二日目)

その本(今でも入手可能だと思います)には、色々な「東洋体育」が、広く浅く紹介されていました。操体は、気功家の津村喬さんが説明を書いていたと記憶しています。書いてあったのは般若身経で、高校生の私にはなんだか抹香臭くて面白くなさそうに見えまし…

私の操体史(初日)

友松さん、一週間ありがとうございました。 こんにちは。畠山裕美です。 今回のブログテーマ「私の操体史」は、畠山がテーマのアイディアを出しました。操体史でも操体歴でもどちらでもいいのですが、私は「操体史」としました。 というのは、最近若い方(下…

愉しむ学びを。

おはようございます。 今回のブログ担当も、今日で最終日となります。 今回のテーマは「私の操体歴」という事で、20年位前から振り返って書いてみましたが、自分の事だけでなく、これから操体を学びたいという人にも向けても、少し書いておかなければなり…

「病気なんかねぇ」の意味を考える。

おはようございます。 操体の創始者である橋本敬三先生は、生前よく「病気なんかねぇ」と言っていたと聞きます。 この言葉を、入門当初に聞いた時は、まるで意味がわかりませんでした。 病気を治せるようになりたくて、勉強しに来ているのになんで?という感…

ビジュアルの改善・・・2

おはようございます。 昨日は、呼吸、飲食、身体運動、想念の生命活動の営みと、空間をはじめとする環境とは、同時相関相補連動性という性質を持って密接に関連し合っており、身体運動のバランスがよくなれば、他の呼吸、飲食、想念もよくなり、空間との調和…

ビジュアルの改善。

おはようございます。 私は今でこそ、身長175cm、体重62kgで、毎年の健康診断も所見なしの状態です。しかし、16年前の操体入門時は体重が100kgを超え、何かいつも気分や体調がすぐれない、いわゆるメタボ状態にありました。 昨日は、急激に…

当時の私のビジュアル。

おはようございます。 昨日、ビジュアルということを書いていて思い返されましたが、実は私、16年前の入門時は随分と太っていまして、体重も100kgを超えていました。 もともと体重が100kgあったわけではなく、その当時30歳代中盤だった私は、…