東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

2022-02-01から1ヶ月間の記事一覧

修行(二日目)

" data-en-clipboard="true">2016年に「東京国際仏教塾」に参加しました。第30期生ということで、100名近くが参加していました。 " data-en-clipboard="true"> 前半は「仏教全般」ということで、様々な宗派の修行に参加します。 最初は、千葉県いすみ市にあ…

修行と修業(初日)

友松さん、一週間ありがとうございました。こんにちは。畠山裕美です。 1週間よろしくお願い致します。 【修業(しゅうぎょう)】学芸を習い修める 【修行(しゅぎょう)】仏道を修める 「修業」は、シュウギョウと読み、学校などで決まった教育を受けること…

修行・・・7

おはようございます。 ♪どこまでも、まっすぐに進んで~ 同じところ、ぐるぐる回って~ 星も無い暗闇で~ ♪ もう20年以上経ちますが、操体と出会う前の手技療法を色々と模索しながらの修行中に流行っていたであろう曲の一部です。 流行っていたであろうと…

修行・・・6

おはようございます。 修行には、技術の習得、精神的な鍛錬の他に、身心ともに健康に導くような面がなければならないと思うのです。 それでこそ長く続けられる。 先ごろ行われた冬季五輪の女子フィギュアスケートでは、ドーピング問題がクローズアップされて…

修行・・・5

おはようございます。 修行とは、単に技術を身につけるだけのものではなく、精神的な鍛錬のようなものが伴い、技術を身につけた後も、何か精神的な支えになるようなものが残るものなのではないかと思います。 その為に、良き師の指導を仰ぐ事も重要でありま…

修行・・・4

おはようございます。 今回のブログのテーマは「修行」ですが、パソコンで「しゅぎょう」と入力し、漢字変換すると「修行」の他にも「修業」というのもでてくる。 修業だとすれば、特定の技術を身につける為の意味合いが強くなってしまう。 しかし、操体は技…

修行・・・3

おはようございます。 修業とは、厳しくとも耐え忍ぶもの。修業には我慢が必要だとよく言われる。 我慢が必要? 操体を修行中の身としては、この「我」と「慢」がどうも気になる。 我は自分本位の考えにもつうじるし、慢はあなどる、おこたることを指し、高…

修行・・・2

おはようございます。 痛みやつらさを識る必要はある。これは、昨日書いたことと矛盾するようですが、大切な事だと思うのです。 今回のブログのテーマが「修行」と聞いた時、白装束で滝に打たれる場面が、ふと思い浮かびました。 この滝行にしても、痛みやつ…

修行・・・1

おはようございます。 実行委員リレーブログ、今週は友松の担当となります。どうぞ、宜しくお願いいたします。今回のテーマは「修行」ということでリレーしています。 修行というと、つらく厳しいものをイメージする方も多いと思います。 心身、特に精神性を…

道中いったりきたりの記7

何かを「身につける」ために、以前は繰り返しのなかで 学習している実感が多くありました。 今でも「身につける」ということについて 何度となく考えます。 これだけ学び続けていても、いまだに身についていないことを 痛感することも相変わらず多々あります…

道中いったりきたりの記6

修業、修業、修業・・・。 なぜだかわからないのですが、昔からこの「修業」というものに 興味を抱いていて、憧れる部分がありました。 例えば、こどもの頃から読んでいる漫画のなかには数々の「修業」の場面が登場していましたが、グッとくる修業のシーンは…

道中いったりきたりの記5

日常生活のなかで、このからだというものが「重いなぁ」と感じることがある。 修業中の身ゆえに、与えられている特権かもしれないけれど、 「これも修業」というマジカルワードを唱えると、 動きやすくなる感がある。 この重さを感じながら、「えいや、」と…

道中いったりきたりの記4

一度丁寧に作り上げたものを、一回分解してまた作り直す。 こういう「やりなおし」もどうも苦手なこととして過ごしてきた。 でも、勉強を続けていると、この作業こそ必要なことのように感じられてくる。 近年、注目されている、からだのなかで起こっている「…

道中いったりきたりの記3

書いては消しての繰り返し。 さっき「通った」ばかりのところなのだけど、 見逃していたことがあることに気が付いて、数秒後にまた逆戻り。 それも、笑ってしまうくらい、何度も何度も反復、往復。 一度で済ませればいいものを、一回で気が付いておけばいい…

道中いったりきたりの記2

「あ~、また行ったり、来たりしている」と思うことは、学んでいると、何度となくやってくる。 修業中であったはずの「ON」が、気が付いたら「OFF」られている、 なんてことは日常度々起こる。 常にスイッチONでいるとへとへとになってしまうこともある。 何…

道中いったりきたり

おはようございます。 瀧澤さん一週間のブログ投稿ありがとうございました。 テーマ「修業」のバトンとタスキを受け取って、本日より一週間は寺本が担当します。 よろしくお願い致します。 何をするにも長続きしなかった私にとって、気が付いたら10年も続…

「からだ」が主語になるように⑦

色々なことに手を染めるよりも、師について、確かなモノを身につけていきたい。 そんな想いから、操体とのご縁をいただきました。 初めから学びのゴールを設定していたわけではなく。 こうなりたいという明確なビジョンがあったわけでもなく。 ただ、臨床に…

「からだ」が主語になるように⑥

「からだ」からいただくという姿勢によって、臨床も変わってくる。 この頃はそんなことも、確かな実感として「からだ」からいただいています。 操体をとおして学んできた、臨床では「からだ」の要求を満たしていく、ということ。 開業してからこれまで、ほん…

「からだ」が主語になるように⑤

「からだ」そのものにインプットされた記憶は、いつでも鮮明によみがえる。 師の臨床を初めて受けた時のこと。 師は何も聞かなかった。 「からだ」にふれただけだった。 「からだ」が主語になる空間になっていた。 何も知らない「私」は、それを言い表す「こ…

「からだ」が主語になるように④

習い始めの、操体法や般若身経(からだの使い方、動かし方)を身に付けていく過程。 身に付くのに、理解するのに時間はかかっても、その過程は「私」を満たしてくれました。 「からだ」をとおして、「私」は修業の只中にいる、という実感。 この実感が、以前…

「からだ」が主語になるように③

「からだ」が主語になっていなかった、と今気づかされる。 不思議なもので、「からだ」が消えると「今」も消えてしまう。 「今」が消えると、「ほんとう」の感謝ができなくなってしまう。 本当のきもちといっても、その奥にある「ほんとう」にふれていないと…

「からだ」が主語になるように②

「からだ」が主語になっているか。 操体における「修業」と捉えることもできます。 これまでも「からだの学習」をとおして、「からだの要求」にふれてきました。 自分がどうしたいかの前に、「からだ」はどうしたいのか。 ちゃんと「からだ」にききわけられ…

「からだ」が主語になるように①

岡村実行委員一週間のブログ投稿ありがとうございました。 今日から担当の瀧澤です。 引き続きテーマは「修業」でつないでまいります。よろしくお願い致します。 「一生修業なんですね」 何年か前に、ご自身でも色々と勉強されている方から言われたことがあ…

終業しない修行⑦

昔、自分の存在を考え直す良き機会となったことがあった。 それは、私の人生がこれからも充実する事を願うのであれば、 名前を変えた方が良い、つまり改名を勧めると言う話だった。 確かに、歴史の証明していることには一理ある。 様々な統計的な事実で、間…

終業しない修行⑥

そもそも、馬に乗らなければ落馬しない。 馬に乗らなければ遠くに行くことはできない。 低いものを飛び越えるのも、高い場所に登るにも、ふやけた 生き方をしているのでは、失望も絶望もないけれど、極楽へ 繋がるかもしれない、静かな歓喜なる悦びも、味わ…

終業しない修業⑤

昔、月刊誌に文章を書く機会を得て、原稿は非常に時間がかかり、 当時とても骨が折れたことがあった。その原稿は掲載されても、金銭の報酬を得ることはなかった。 また何かの講演を頼まれ、その報酬を受けないこともあったり、 その時は損した気分になったも…

終業しない修行④

(つづき) またある時。 その有名な画家はある機会に、若い画家にも伝えた。 若い画家は自信を失っていた。 「私は力がなく才能に欠けていると思う」と愚痴を言った。 有名な画家は断固として伝えた。「力が足りないのではない、真剣さが足りんのだ! 懸命…

終業しない修業③

昔、操体の講習会が終わった後。三浦理事長と食事を一緒にしているとき。仕事の後に家事を手伝っていることが苦痛である、と愚痴をこぼしたことがあった。その時こう言われた。さっきからずっと、岡村は愚痴こぼしているけれども気がついているか、と。愚痴…